歯が欠けた

クリスマス前に雪がけっこう降った。この調子でいくと年始も雪かきかなと諦めていたのに、まずまず穏やかだったので助かった。この地における正月の習俗はバラエティに富んでおり、かつ奥深い。が、なぜか今回はこれをテーマにする気にならないし、小市民のありふれた正月が面白いはずもないので、年末にした歯の治療を書くことにする。
私にとって、大病せず一年を過ごせるのは有り難いことだ。ただ、社会にとってどうなのか分からない。これまで私は、大望を抱いて研鑽に励むことはなかったし、何かを達成したということもない。もうこの歳になると、新たな地平が開けるということはまずないだろう。世に何ら貢献できず、むざむざと生きてしまったことになる。
先日ちょっと硬めの菓子を食べているとき、右上の奥歯が欠けて、かぶせてあった金属の冠がはがれてしまった。二十年ほど前、海外で仕事をするというので、歯の検査と治療をしてもらった。近所の口うるさい歯医者だった記憶がある。今考えると彼の腕は確かだったようで、簡易な方法で荒療治しただけであるにもかかわらず、以来二十年ほど歯医者にはかからなかった。
今回なぜ、歯が欠けてしまったのか本当の理由は分からない。あの程度の飴や煎餅など問題なく食べてきた。歳をとるにつれて、歯磨きなど手入れを横着しているからかもしれないし、歯の質がもろくなっているのかもしれない。今回は運よく二回で治療を済ますことができた。
歳を取るというのは、体だけでも、さまざまな点に現われる。たとえ健康であっても、老眼がやってくるし、頭が薄くなったり白くなったりする。さらに手や腕にシミが目立つようになり、膚が黒ずんで弛むなどもしみじみ感じるようになる。
運動能力についても、走るだけでなく段々早く歩くことも難しくなる。ただ、この点は個人によってずいぶん差があるようで、同年代もしくは年上でも山中で若者に劣らない仕事をしている人が結構いる。私の場合、雪かきを一人前にできるかどうかを基準にしている。
思考や判断力にしても、時間が十分あって経験を踏まえられるのであれば、それなりに考えて決断できても、瞬発力のいる場面で英断はしんどい。
年金や医療で、年寄りが社会の負担になっていることは十分承知している。心苦しいが、歳をとって心身ともに弱くなることは避けられない。日本がこれほどの長寿社会になり、老害が目立つようになるとは思いもよらなかった。
日々健康で暮すことをいとおしいと感じる一方で、社会を支える若者が減ってしまった以上、年寄りがいたずらに生をむさぼることが難しくなっているような気がする。
もうひと踏ん張りするか。

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