初めての授業参観

どうしても親が出られないということで、孫本人のご指名があり、小学校の授業参観に出る羽目になった。
私には娘が二人おり、参観の機会があっただろうに、一度も出たことはない。生きているうちに一回ぐらいはいいかという気になって出席することにした。この歳になって初めての参観なのである。
そうすると、真っ先に思いつくのが、どんな格好で行くかだ。仰々しいことはしないとしても、靴を履くぐらいは仕方がないか。私は、余程のことがない限り靴を履かない。八幡に来て履いたのは、やむを得ない冠婚葬祭の時だけだ。
そう言えば何かの折に上京し、古本を探して半日神田を歩き回った時でも、草履を履いていた。神田で古本屋を回ることがどれほど大変なのか全く分かっていなかったことになる。
幸運にも参観に関するプリントにスリッパ持参という記述を見つけ、入り口で履きかえればよいから、草履のまま行くことにした。何だかホッとした。
草履なら、上も普段着で問題なかろうという勝手な理屈をつける。もともと田舎のことで、あまりよそよそしい恰好をする必要がないことも追い風になった。
午後の授業なのに、朝から何だか落ち着かない。我が家は学校から数分のところにあり、準備さえできればすぐ行ける。
行ってみると、案の定、殆ど母親が参観している。父親は数人程度というところだった。爺さんが出ていたのは私だけ。そんなことが気になる性分ではないから、粛々と仕事をこなす。孫の顔を探し、授業態度を観察してみると、誠に行儀がよろしい。
ふと、自分が参観された半世紀前のことを思い出した。まだ私の父が生きていた頃だと思う。何かと忙しい母親が参観に来るとは思いもよらず、彼女が来ていることに気付かなかったようだ。
母は家に帰ってから、私が全く勉強に集中せず窓の外を眺めているので恥ずかしかったと言い、二度と参観には行かないと叱られた。そのせいかどうか、それ以後、彼女は一度も来なかった。
以来誰も来なかったから、どこかに寂しい思いもあったに違いない。本来なら苦い思い出のはずだが、懸命に生きていた親を恨むはずもなく、のほほんとしたままであった。
だがこれほど鮮明に覚えていることからすると、この顛末が私の性格に関する骨格の一部になっているかもしれぬ。更に言うならば、このあたりが私の気楽な人生観の原点になっているような気がする。