任那日本府(2)

今回は、好太王碑文や『宋書』で「任那加羅」と併称されてきた「加羅」について考えてみたい。
『三國遺事』卷二紀異第二に『駕洛國記』という記録が残されている。この中で、「建武十八年壬寅(42年)三月禊浴之日」の事として、鼻祖の「首露王」が登場する。そして国名として「國稱大駕洛 又稱伽耶國 即六伽耶之一也」となっている。この伝承では、「大駕洛國」ないし「伽耶國」と称している。
「六伽耶」の呼称のみならず、東北には「伽耶山」が境界をなしていたとあるから、「伽耶」が原形で「駕洛」が首露王に関わる名称であったと解することもできる。
但し、「伽耶」の「伽」「耶」はいずれも『説文』には収録されていない文字であり、表記から当時の基本情報を得ることはできない。
音について少しだけ整理しておくと、「駕」は「古訝切 十七部」、「伽」の声符である「加」は「古牙切 十七部」だから、「駕」「伽」を同部の類似音とも解せる。「駕」「伽」はいずれも有声音で使われることが多く、やや意外な用字である。
私はこの「伽耶」が、『後漢書』東夷傳倭条における「拘邪韓國」、及び『三國志』魏書東夷傳倭人条における「狗邪韓國」に関連すると考えている。
根拠を列挙すると、
1 年代及び時代背景が一致する。
2 地理上の位置がほぼ対応する。
3 「伽耶」および「拘邪」「狗邪」が音韻上、類似音と考えてよさそうなこと。
以上である。
1及び2は、『駕洛國記』の厳密な史料評価が必要だとしても、それなりに認められるだろう。
3の音韻はここでどの程度類似しているのかを細かく検証することは難しいが、要点は次の通りである。
「伽」と「拘」「狗」については、『説文』に「伽」が収録されないので直接に比較はできないものの、「拘」は「舉朱切 古音在四部 讀如鉤」(三篇上021)、「狗」は「古厚切 四部」(十篇上161)となっている。これに対し、「駕」の声母及び「伽」の声符である「加」の声母も「古」だから、「伽」「駕」と「拘」「狗」は互いに雙聲字とみてよい。
他方、「耶」が「邪」の隷書体とすれば、「耶」「邪」を同字異体と解せる。
これらから私は、「加羅」は「駕洛」であり、これを遡れば「伽耶」であって、「伽耶」は「拘邪」「狗邪」として後漢代初期に遡れ、倭三十國の一つであったと解している。

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