任那日本府(4) -「或屬倭國王」-

張庚の『諸番職貢圖卷』斯羅國条における「或屬韓 或屬倭國王 不能自通使聘」の解釈は次の三通りが考えられる。
1 「或屬韓 或屬倭 國王不能自通使聘」
2 「或屬韓 或屬倭國 王不能自通使聘」
3 「或屬韓 或屬倭國王 不能自通使聘」
史書の解釈にさじ加減などありえない。各人が文意を吟味し、しっかり議論するほかない。
1は、「韓」「倭」を同格とし、それぞれ韓種、倭種と解していることになる。これだけなら無理はないが、この場合「或いは倭種に属する」ことになり、文意が不自然である。同時に「韓種」「倭種」の両種に属することはできない。「韓」を「辰韓」とすれば、辰韓が小国家の纏まりを指すことになるので、「倭」を「倭國」と解さざるをえない。
またこの場合、「國王」は単独で「斯羅國」の国王となる。この後の「其王」「其國」「其俗」など「其(斯羅國)」の用例からすると「其國王不能自通使聘」となるのではないか。直後に「普通二年(521年) 其王姓募名泰」で「其王」とあり、不自然だろう。
2は、「倭國」が異種の国家と解せるから、「韓」を「辰韓」とすれば、「屬」に関しては問題がない。ただ、「或屬韓 或屬倭國 王不能自通使聘 普通二年 其王姓募名泰 始使隨百濟奉表獻方物」の文脈でみると、「王」は単独で「斯羅王」となる他なく、「王不能」「其王姓募」の順序で書かれていることなる。一例目の王に「其」がなく二例目に「其」があるので達意とは言えまい。
3は、『梁書』新羅條に「其國小 不能自通使聘 普通二年 王募名秦 始使使隨百濟奉獻方物」の用例があり、「其國」が主語だから、この文における「不能自通使聘」の主語は「新羅」となる。
とすれば、「斯羅國 本東夷辰韓之小國也 (魏時曰新羅 宋時曰斯羅 其實一也 或屬韓 或屬倭國王) 不能自通使聘」までを一文とみることができ、「或屬倭國王 不能自通使聘」と分けるのが自然な読み方になるだろう。後文の「普通二年 其王姓募名泰 始使隨百濟奉表獻方物」で「其王」となるのも自然である。
この場合、「魏時曰新羅 宋時曰斯羅 其實一也 或屬韓 或屬倭國王」は魏代から梁代までの通史を記していることになる。
『三國志』魏書辰韓条に「新羅」は記されないが、『宋書』倭國条に「使持節都督倭 新羅 任那 加羅 秦韓 慕韓六國諸軍事 安東大將軍 倭王」などとあり、宋朝は「新羅」が倭国の王に属していることを認めている。梁朝もこれらを追認しており、一方で「新羅」条として立伝され自立する過程にあったとしても、他方で「斯羅國」として「或屬倭國王」と解していたわけだ。
以上から、「斯羅國」は小国ゆえに魏代では「辰韓」に、宋齊および梁代初頭までは「倭國王」に属していたことにならないか。