瓢岳(4) -「大日堂」(下)-
今回は大日堂宇婆御前の宮で大日如来を祀っていたと考える根拠を示していきたい。
星宮神社に関して「濃州高賀山星宮大權現之記」という史料がある。寛文元年(1661年)の署名だが、「伝記」を踏襲しており、それなりの評価ができそうだ。その中でずばり「大日如來姥御前」と記されている。江戸時代前期まで「大日堂」が現存していたのだろうか。無論、これだけを大日如来説の根拠にしているわけではない。郡上に関連する史料をみていだだく。
1 郡上市に大日岳がある。養老元年(717年)に、泰澄が山頂に大日如来を祀り開山したと伝えられている。そのまま史実とみることは難しいが、台密が伝わって以後、この山が白山信仰の一部とみられていたことは間違いあるまい。
2 越前における蓮如の布教によって郡上でも浄土真宗が広がり、天台宗の寺院は相次いで真宗へ改宗した。八幡町の蓮生寺、善行寺などがそれである。郡上で天台宗として生き延びたのは長瀧一山八坊のみと言われている。この中に「大日坊」が残っている。この地においても、天台密と大日如来の関連が深い。
3 高賀六社の一角を占める片知蔵王権現の「片知村高賀山蔵王由縁」という史料に「白山大權現大日如來」の表記があり、白山信仰と大日如来が語られている。
4 小駄良中切に「大日堂」があり、大日如来が鎮座している。この堂は真宗の伝播以前に遡れる。
5 上記した「星宮大權現之記」の中で、高賀宮の別当である蓮華峯寺の本地が「八幡大菩薩大日如來」とあり、系統が異なるとしてもやはり大日如来が登場する。
これらから、瓢岳の信仰と大日如来が相当濃密な関係にあり、「大日堂」の「大日」が大日如来を指すと解せるのではないか。
如来は、サンスクリットが語源で、漢語訳の「如去如來」からきている。真如の道を得て、此岸へ戻って来たほどの意。如来は一般に釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来及び大日如来が知られている。大日如来はまた真言密教の教主とされており、必ずしも天台宗のみに関わるとは限らないが、ここでは台密との関連を考えている。
ところで、私はまったく不案内だが、「大日堂宇婆御前宮」を六社の一つに数える説がある。もう一度、新宮の「巖神宮大權現之傳記」の該当部分を見ていただく。
「從嶽鬼門那比村八王子權現并高賀山巖神宮寺 二閒手大日堂宇婆御前宮 次高賀山巖本宮寺 兒宮飛瀧大權現本地阿弥陀如來 寶珠石座不動尊」
上のように「大日堂宇婆御前宮」を切り離して読むのだろうか。とすれば「高賀山瀧之宮」に代わって「大日堂」が入っていたことになる。根拠がこれだけなら心配な読み方だろう。ただ、六社へ収斂する前の形が残存していると解せるかもしれない。当否は別に、瓢岳の信仰に関して、那比の存在が際立っていることは認められる。
以上、大日堂と白山信仰の繋がりから、「宇婆御前」が如何なる神かというテーマへ切り込む糸口ができたかもしれない。