文化の伝承

なにも肩がこるような話ではない。今回は単なる玉突きのようなものだが、用語を格上げしたくなる気分になった。
私がトンボ好きであることは何回かここで書いてきた。毎年、孫を連れ、川べりや公園などで虫捕りをする。中でも、彼にはトンボの捕り方をいろいろ伝授してきたと自負している。
彼が、本日突然、「トンボの卵はいつごろヤゴになるの」と聞いてきた。それほど自信がなかったのでネット検索で確かめ、「今頃からかなあ」と答えた。何故そんなことを尋ねるのか不審だったが、彼がしゃべり出すのを待っていた。
少し間をおいて彼が言うには、友達から「トンボの卵がヤゴになっている」と教えられたそうだ。
この話には一年前の前段がある。昨年の夏、彼がシオカラトンボを捕ってその友達にあげていた。そのヤゴだと云うのだ。
近ごろ彼はトンボ捕りに自信を持っているようだが、我が家では例えオニヤンマであれ、採ったその日の夕方に庭へ放してしまう。だからかどうか、おやつやゲームの時間などに関してはかなり「せこい」にも拘らず、採ったトンボは気前よくあげてしまうらしい。
その友達は、ちょっとしたタライを池代わりにして、貰ったトンボに卵を産ませたと云う。その卵が、近ごろ、やっとヤゴになったというのである。
いつ頃ヤゴになるのかを質問してきたことからすると、彼にはトンボに関して、採卵からヤゴへ、ヤゴから羽化までのイメージが繋がっていなかったのだろう。友達の言うことが半信半疑だったのではあるまいか。
私の答えを聞いて、腑に落ちたような表情と共に、一年前の自分の行動が思いもよらない「結果」を生んだことを不思議に思うような、遠くを見るような表情をしたのがなかなかよろしい。
私は、すっかり楽しい気分になってしまった。歳を重ねると、じわじわと肉体や精神が萎え、浮世に興味が薄れてくるものかもしれない。私には果てしないライフワークがあるけれども、段々、ゴールへの準備が忙しくなってきた。
二年ほど前だったか、偶然見つけた羽化中のオニヤンマを家に持ち帰り、庭で羽化させたことがある。彼はこのことを覚えていないようだったが、今後は採集のみならず、採卵から羽化までを考えていくかもしれない。
この世にしがらみが一つ増えたような気がする。また楽しからずや。