めだか三景

なぜか頭にメダカの入った絵が三つ浮かんだ。郡上八幡は水の町と呼ばれており、町内のいたるところに山水が巡っている。
水路の水が滞ってしまうと、消火用の水が来ないわけだから心配の種である。また流れがないと、夏場ならボウフラが湧いたり、どぶの臭いがしたりする。冬場は、雪国の人なら分かってもらえるだろうが、雪を処分するのにほとほと困る。大雪なら大川へ運んで始末するが、普段なら側溝で楽ができる。従って、どの町内でも水の管理には気を使う。
街中を流れていると言っても、きれいな水なので、結構生き物がいる。散歩に出ると、左京辺りだったか、石臼に水を張って藻を入れ、メダカを飼っている家がある。いつも一休みする處なので、たまに主と話すことがある。私と孫の顔を見ると、メダカをやるから飼えと言う。私は、諸般の事情が頭をよぎり、口をもごもごさせる。ただ、彼は井戸水を使っているようだった。
左京とは逆の方向になるが、島谷用水の取水口あたりに堰堤がある。堰堤の下から流路が狭くなるので、本流は水を集めてかなりの速さになる。いつの大水だったか、右岸が削られて、八幡神社の前の道が崩れていた。それとは反対側に用水がある。言わば川の中に別の水路を作っていることになるので、材木を井桁に組み、石が流れないようにして岸を守っている。水が少ないときには、この場所のあちこちに水たまりができ、簡単にかじか蛙やメダカがとれる。近ごろその辺りへ、孫と二人で、オイカワなどの小魚を釣りに行く。メダカやウグイのみならず、結構チチコやアジメドジョウがいる。
本日、川掃除があった。草刈りが終わって近所の人と懇談していると、島谷用水にメダカがいたという話になった。五十年以上前のことで、私がここへ引っ越す前のことだから、拝聴していた。
中でも、幼い娘のころ何人かでメダカを取ったという話が興味深い。追い込む子と掬う子の二手に分かれたそうだ。昔のこととて、目の細かいそれ用の網があるわけもなく、タオルを使って捕まえたそうである。タオルと言っても、恐らく日本手ぬぐいだろう。私は、一気に時間が逆戻りして、娘さんがメダカを捕まえている図が浮かんだ。その印象が強烈だったからか、捕まえたメダカをどうしたか聞かなかった。
戦後まもなくのことで、彼女たちはきっと豊かではなかっただろう。だが用水に入り、タオルを使ってメダカを捕まえたことが懐かしい記憶として残っていること自体は悪くない。
このメダカのいる環境を何とか良い形で残していきたいものだ。