牛頭のこと(上)

さほど成果があがらないなら書くべきではない。だが、試行錯誤こそサイエンスという向きもある。従って、この両者を考慮した文にならざるを得ない。牛頭信仰に関していくらかは書いてきたが、残されたテーマも少なくない。たとえ味気がないとしても、概略だけでも書いておく意味はありそうだ。いくつかカードをお見せする。今回は2まで。
1 郡上における牛頭天王の由来
2 牛頭天王に何を託したか
3 高賀山における牛頭天王と大行事
4 八王子との組み合わせ
5 牛頭と牛首の違い。
1について、牛頭天王は高賀山の主要な信仰対象の一つであるだけでなく、上保筋でも痕跡が残っているし、和良筋や小駄良道においては点々とたどれる。
まず高賀山のそれは、白山からのルートと大矢田神社からの影響が考えられる。日吉大社でも上七社に八王子が祀られているし、牛頭天王の伝承がないわけではないが、直接には信仰の対象とされていない。
上保については高賀山(12)で、大和近次の牛首山と八応神様について触れた。この他にも大間見に牛頭社があるようだが、まだ確認していない。
和良筋及び小駄良道は何か所か復元する必要があるものの、白山街道とみており、長瀧・石徹白から白山へいたる主要なルートだと評価している。旧明方筋からも合流できる。つまりは東濃、中濃のみならず飛騨からもアクセスできていたことになる。
和良の宮代白山神社の近辺に天王山があるし、この水を集める谷は天王洞と呼ばれている。今のところ稚児山から田尻の白山神社までは牛頭の足跡を発見できないけれども、吉田川を渡れば八幡では城山がかつて牛首山であった。この山の北に祇園社があり、その下がやはり天王洞だ。
小駄良のタヤあたりから小駄良川にかかる橋をわたると上保へいける峠道があったらしい。この橋のたもとに牛頭天王らしき像がある。これがなかなか面白い石像で、一見の価値がある。馬頭観音を思わせる姿で、頭上に牛頭を乗せている。
2については牛頭天王が荒ぶる神であることから、渇水や洪水などの天変を抑え、防疫などを祈願する神として受け入れられたのではなかろうか。雨乞いについては虚空蔵菩薩と競合しそうだが、時間差があるかもしれない。病については、地元民のみならず巡礼者が各地の牛頭社に参り、治癒を願うようなこともあっただろう。
ただ宮代白山神社が女人禁制だったことから、白山における母御石のように、北からの影響も考えられる。南北が交錯していることを書きたいのである。

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