貝かけ

二か月ほど前に「ギフチョウ」(2014年5月07日付け)というテーマで書き、阿瀬尾から修験道の復元を目指したルートに、「貝かけ」という地名があることをレポートした。その時は、語源につき三説を提案している。
1 修験者がほら貝を懸けたから
2 抉れた地形が二枚貝のように見えるから
3 「かゆ」が「かゐ(い)」にならないか
もう少し説明すると、1は地元でしばしば語られており、まあ伝承と言ってよいだろう。他にも「鬼が坂」や「天狗踊り」など修験者に関連しそうな地名が残っているので、「ほら貝」を連想するのも無理からぬ話である。
2は、尾根筋までごっそり地すべりで抉れた地形を二枚貝の内側のように理解するわけで、なかなか面白い。ところが他地区の用例に乏しいようで、少しばかり不安がある。
3は単なる思い付きで、八王子峠を越したところに粥川という地区がある。音韻については根拠が薄弱だとしても、「うぐい」が「いぐい」になるなど割合音便が多いところなので、その時はありえる話かと感じていた。
じっくり年月をかけ、納得できるまで考え抜くことができるのが地元の強みと言ってよい。同志の者が、顔を合わせ、繰り返し異なる視点から話し合えるのは楽しい限りである。
しかしこの件については、ばたばたして整理もできず、やりっばなしの状態が続いてきた。そこに突然、ある筋から「峡かけ」ではないかという意見が出てきたのである。私にとっては、まさに晴天の霹靂だ。
地名辞典によると、地滑りなどで山が大きく抉れた地形を「峡(かひ)」と呼ぶ地域がある。「甲斐」などである。まだ腑に落ちていないけれども、「替ふ」の名詞形だという説が一応有力らしい。とすれば「峡欠け」ということになる。
実際に歩いた経験からすると、その地点は山が抉れて相当な急斜面になっており、確かに尾根道が「欠けて狭くなった」という解釈もできそうである。
これを第四の説とすれば、なんだか急ににぎやかになった印象があり、楽しみが増えた。ただ、この地区の崩壊地名に「かひ」のつく例が思い浮かばないので、「粥川」などもまた「峡(かひ)」から考えてみる必要がありそうだ。
「貝かけ」は、那比本宮の峠越しにある。本宮が、土砂崩れによって、殆ど流されてしまった話は何回か述べてきた。いずれにしても、この「かひかけ」が本宮及び高賀宮の流失と関連する可能性はないだろうか。地質に詳しい人と再度ルートを巡る機会があれば、この点からもアプローチできそうである。生きておれば、結構次々と面白いことが起きるものだ。

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