地蔵まつり
夏に我が家の恒例となっていることは結構ある。七月の下旬ともなれば、町内の地蔵祭りがある。
長年暮らしているので、手順は殆ど頭に入っているが、細かなことは毎年抜けていく。お地蔵さまを安置している小屋の掃除から、賽銭箱の取り外し、飾り台の取り付けなど、細かな仕事が続く。
私は人夫仕事をいとわない。高齢化の進むわが町内のことであるから、必要とされれば、もくもくと力仕事をこなす。
台の取り付けや幕張り、祭具の飾りつけなど難しい仕事は、本来要領の分かった長老連が指揮をとる。祭具などは伝統化した場所に安置しなければならない。宗派が異なると、花台の位置ですら異なるからだ。お供えも、出してくれたすべての人の名前が見えるようにしなければならない。
小さな祭りとは言え、お守りを売ったりするわけだから、神仏混淆の気配も残っている。少しずつ段取りが変わりつつあるとしても、根本は、祭事の継続あるのみという雰囲気である。
近頃は力仕事に加え、細かいこともやらざるを得ない状況になってきた。とにかく前に出ることが嫌なので勘弁してもらいたいが、仕方がない気もする。
この祭りは電気地蔵祭として、郡上踊りの一角を占めている。行政としても継続してもらいたいだろうし、自治会でもできるだけ協力して残していきたい意向である。近所付き合いも希薄になっている現状では、なにより朝から晩まで顔を合わせ、声を張り上げて話す貴重な機会となっている。
今年は例年に加え、新しい区長が伝統化したやり方を変えてしまい、とまどうことばかりである。賛否両論あるとしても、大変な仕事をまかせたわけだから、できるだけ彼の意志と流儀を尊重するほかない。
どうやら彼は、幾つか店を出したり、くじ引きをやるなど、踊りの他に自前で縁日の催しを加えたいと考えていたようだ。話し合いが行き届かず、出店はうまくいかなかったが、籤はかなりの規模になった。
旧庁舎の前で少しは観光客の呼び込みをしたようで、地蔵さまのお参りが多かった。これもまた例年にはないことだった。
祭りを楽しみに我が家へ泊りに来た孫はうれしそうだ。子供が少ない点では寂しい思いをしたようだが、新しい籤引きの趣向は気に入ったようである。お寺さんのお参りが終われば、子供会が花火と西瓜割りをするからか、腰が落ち着かない。私はと言えば、朝早くから準備をしてきたので、寝転ぶとうつらうつら。体が火照るので、今年はビールを飲まないでおこう。