多胡碑(上)

群馬県高崎市に、「多胡(たご)碑」という国の特別史跡に指定されている古碑がある。山ノ上碑、金井沢碑と共にいわゆる上野三碑の一つとされる。私がことさら取り上げる必要があるとも思えないが、縁ができたので紹介しておく。
全文を記すと次の通り。「弁官符 上野國片岡郡 緑野郡 甘良郡并三郡内三百戸郡成給羊成多胡郡 和銅四年三月九日甲寅宣 左中弁正五位下多治比眞人 太政官二品穗積親王 左太臣正二位石上尊 右太臣正二位藤原尊」
この文は、『續日本紀』卷五和銅四年條に「三月辛亥 別置多胡郡」とあって裏付けされており、史実とみられている。
碑文中の「并三郡内三百戸郡成給羊成多胡郡」については古くから議論があり、意見が分かれてきた。「羊」を人名とみる説や方角説などが提唱されており、現在では人名説が有力とされる。
それほど難しい文字も見当たらないようなので、皆さんも解読に挑戦されてはいかがかな。
確かに難解なところがある。まず「并」の読み方だが、これを「弁官」が「上野國」の長に与えた「符」とみれば、一応「片岡郡 緑野郡 甘良郡并三郡」と読み、「片岡郡 緑野郡 甘良郡并三郡内三百戸」として、上野国に片岡郡 緑野郡 甘良郡并せ三郡内の三百戸をもって新たに多胡郡をつくれと命じている文脈になるだろう。
「并」を動詞とみると、「上野國の片岡郡 緑野郡 甘良郡」の三郡に命じていることになりそうだ。とすれば、郡が郡を成立させる権限をもつことになり、しんどいか。
以上から、「上野國 片岡郡 緑野郡 甘良郡并三郡内三百戸 郡成給羊 成多胡郡」とまではなりそうだ。
ここで、核心部分に至ったわけである。「成多胡郡」は上野国に命じているので「多胡郡と成せ」でよさそうだ。とすれば、「郡成給羊」は郡の新設にかかる条件を述べているだろう。その基本条件が「三百戸」であるから、これとの関わりで読むのが自然である。ただ「多治比」が音仮名、「眞人」「穗積」の一部は訓仮名、「石上」「藤原」は訓読みだろうし、これらが漢語と併用されているわけだから容易でない。
金石文であり、かつ「成多胡郡」など漢文として文章がしっかりしている印象があるし、仮名表記などが固有名詞に限られていると解して漢語調で読んでみると、「郡成給羊」を「郡成給養」の假借とみて、「(三百戸を)郡成するに給養す」あたりか。この解には二つハードルがある。他に用例があるとしても、「羊」「養」の減筆及び音韻を確かめる必要があるし、歴史の流れに合うかどうか。
テーマを一応「多胡碑(上)」としたが、続編を書くかどうか決めていない。あまり深入りする気はないからだ。

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