多胡碑拾遺

これまで三回に分けて書いてきた。「養」「羊」が仮借だと主張してきたが、言及しておいた用例をここで披露してみたい。その前に、再度原文を見ていただく。
「弁官符 上野國片岡郡 緑野郡 甘良郡并三郡内三百戸郡成給羊成多胡郡」
1 「羊」を人名とみる説では、
「弁官符 上野國の片岡郡、緑野郡、甘良郡并せ三郡内の三百戸を郡と成し、羊に給ふ。多胡郡と成せ」あたりに読むのだろうか。
これに対して私は、史書に名が記されず、碑文で特別に待遇される要件も記されない中、姓とも名とも分からない人物へ新制の郡を与えるというのは律令制の根幹である「公地公民」の原則に悖ると解した。
このような例外を根拠とする説では、これに類する用例を相当数集め、ここでもこの解釈が成り立つことを証明する必要がある。確かにこの地における伝承から魅力のある説ではあるが、どうしても腰が引けてしまう。
2 方角説では、文章の構成上やや苦しいか。
3 これらに対し、私は仮借説ないし省文説を採用した。つまり「羊」を「養」の仮借ないし略体とみたわけだ。ただこの考え方は、これまでにも主張されており、私の発明ではない。
ここで「養」「羊」の字形や音義に関する用例をお見せするが、既に取り上げられて、目新しいものではないかもしれない。
字形については、「痒」「癢」などで仮借字として使われている。
音について、『廣韻』で「羊」は平聲陽十で「與章切」。「養」は上聲養三十六で「餘兩切」、去聲漾四十一 で「餘亮切」となっている。声母については「余」「餘」、また『禮記』音義で「養 羊向反」だから同声とする例がある。韻母は「章」「兩」「亮」で、声調はそれぞれ異なるとしても、ほぼ同音とみてよかろう。
「給養」の義について、『周易』井卦で「井養而不窮也」(卷第五)とし、[疏]に「正義曰 井養而不窮者 歎美井德 愈汲愈生 給養於人 无有窮已也」とする例がある。
この他、軍隊などで必要品を供給する義の例がかなりある。充分とは言えないけれども、以上から、
「弁官符 上野國の片岡郡、緑野郡、甘良郡并せ三郡内の三百戸を郡と成し給養す。多胡郡と成せ」と読めるのではなかろうか。
地元の人がどのような解釈しているのか興味あるところ。交流が生まれれば面白いかも知れない。

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