オニヤンマと並走

人が幸福を手に入れるには幾つか方法があるという。小さなことを楽しめる事がその一つだそうだ。これなら、すぐそこに幸福があるような気がする。
いくつになっても目新しいことに出合う。すでに還暦を過ぎた身でありながら、これまでにない経験をした。ただ、あちこちに似たようなことがあるのに、気づかなかっただけかもしれない。
今回はちょっとした興奮を伴っていた。すぐに消えていくかも知れないので、書くのをためらい、暫く時間を置いていた。時間がたっても新鮮さを失わないので、報告することにした。
感動には様々な要素が考えられる。苦労が報われたり、新たな視野が開けるなどを思い浮かべる人が多そうだが、私の場合は単なる偶然にすぎない。
今回の件では、ヤンマが私にとってスターであることが必要条件になっている。どうゆうわけか、少年期からずっとトンボが好きで、中でもオニヤンマには一目置いてきた。
八幡では梅雨に入るころから、町中でも道路ぞいに巡航しているのをしばしば目撃する。何回出合っても、その雄姿に憧れる。
前から向かってくる場合が多いかもしれない。私の目が前についているからだろう。たまに網でとらえたい衝動にかられる。とは言え、出合いがしらに捕えたことは少年期まで遡ればあった気もするが、今では思いもよらない。
後ろから来る場合、たいてい思わず「おおー」と声が出てしまう。速いので、私の感覚では、あっと言う間に過ぎ去っていく。
ひと月ほど前だったか。相生までバイクで長良川右岸を走っていた時のこと。鈴原から稲荷神社の前を過ぎたあたりで、何とオニヤンマが私の左横を同じ方向へ飛んでいた。私よりやや前だったと思う。気がつくや否や、負けじと私はスピードを上げた。幸い前後に車がいなかったので、ご心配なく。
エンジンをふかしたのは本能に近い。追いつきたいと思ったか、それとも追い抜きたいと思ったかは、一瞬のことで分からない。スターを追っかけるファンのようなものか。
実際は錯覚でヤンマが途中で方向を変えただけかもしれぬが、とにかく私が前に出たことは確かだと思う。その瞬間、視界から消えた。私は追い抜いたと実感している。
これを何人かに話した。なぜそんなことに感動するのか分からないという風に、憐みの目で見られた気がする。確かに若い時ならいざ知らず、この歳になって言うようなことではないかもしれない。
が、とにかく初めての体験なのだ。人生を走馬灯のように思い起こすなら、この一コマが欠かせない気がする。