制度(7) -用例-

「米歴史研究者の声明」は英文のみならず日本語訳も公式文書らしいので、ここでは後者を例にとっていく。声明中に「制度」が三例、その他二例の計五例ある。
1 歴史解釈の問題の中でも、争いごとの原因となっているもっとも深刻なもののひとつに、いわゆる「慰安婦」制度のそれがある。
2 「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において特筆すべきである。
3 第二次世界大戦中の「慰安所」のように、制度として女性を搾取するようなことは、許容されるはずがない。
4 アフリカ系アメリカ人への平等が奴隷制の廢止によって約束されたにもかかわらず、それが実際の法律に反映されるまでには、更に一世紀を待たねばなりませんでした。
5 女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について。
1、2、3は軍が慰安所施設を設置し、これを民間の業者に提供したことを「制度」と呼んでいることになる。当時、一定のルールの下で公娼制は合法であった。
戦地のことであり、業者が宿をつくるには情報と資本が必要で、かつ危険を押してつくらねばならない。これに対し軍は、業者に対しては募集や施設使用で便宜を与え、慰安婦へは前借りの一割を与えるなどして「慰安所」を設けたのである。確かに軍が主導して将兵用に公娼宿を設置したと解せよう。
だが、これらを「組織的な管理」とするのは度を越している。酒保内であるとは言え、慰安所の主たる管理は業者が行っており、軍ではない。一部業者と慰安婦の間でトラブルがあるとしても、軍が制度として管理し、暴力をふるったり搾取した痕跡はない。
4について。実際の法律に反映されるまで、奴隷制は非合法ではなかったことになる。南北戦争から換算しているのか、以後百年、奴隷制は不文律として合法だったと解せそうだ。これがアメリカの自由だった。有色人種への差別は宿痾である。私は、これをアメリカやアメリカ大統領に「過去の過ち」として「清算」するよう呼びかけはしないが、声明にサインした人たちへは呼びかけてみたい。
5について。これを第二次世界大戦中に日系アメリカ人が抑留された事と比較するには注意がいる。彼らは公権力による強制があって抑留されたのであり、根幹に私契約があったわけではない。この点で、対応が異なるわけだ。
家制度や宗族制を守るための口減らしとはいえ、娘たちに因果を含ませることができない場合もあっただろう。本人にとって慰安婦となり慰安所で働くことが、自己の意思に反して間違いなく「強制的」であった場合も考えられる。だが、商行為として契約した以上、業者が投資に見合うよう彼女らを管理するのは資本の論理である。