郡上郡衙(10) -焦点を絞る-

私の中では、そろそろ煮詰まってきている。これまで「郡上郷」の名称及び「保」の用法から、四郷のうち郡上郷に郡衙があると考えてきた。
中坪や小駄良は、郡上郷の範囲にあったとしても、上之保の影響を受けやすいので可能性が低いと判断した。私は、吉田川に関しては左岸を中心に考えている。
また長良川本流について言うと、五町およびその北も上之保に直結している。また現在の中野地区が本流ないし吉田川の河原だった可能性が高いことから、大まかには以下三つの地区に絞れるのではないか。
1 島谷の東部
2 穀見から千虎
3 西乙原
まず2の穀見について。はっきりした経路は不明ながら、下川道の主要な経由地だっただろう。だが私には、穀見の大半がこの前の洪水で濁流につかった姿が印象に残っている。かなり平地があるとしても、水が付きやすかった点は否めないのではないか。
山側の一部、例えば現在の長良川鉄道の敷設されているあたりなら可能性があるかもしれない。だが、山に近すぎて土砂崩れの心配もあるし、広さに問題がありそうだ。後者については、武儀の郡衙ほど面積が必要だったとは思えないけれども、官舎や倉庫などそれなりの敷地が必要である。
千虎は安久田への重要な分岐点だが、やはり本流の影響を受けやすい場所なので、不安が先に立つ。
3の西乙原には充分な広さがある。扇状地だとしても、縄文土器の出土などからすれば、かなり安定した土地に見える。長良川右岸の要衝と言っても過言ではない。東乙原の存在からすれば、舟など何らかの手段を使って長良川を渡れば、左岸とも交通が難しいということもない。有力候補の一つであることは間違いあるまい。
ただ、和良郷や安郡郷は長良川左岸だし、栗原郷の中心も同じく左岸にありそうだ。特に和良および安郡へ行くには、毎度人や荷物を渡らせる必要がある。そのまま右岸を使うなら、上之保へも隘路を使わざるを得なかっただろう。有力ではあるが、四郡をバランスよく見るという点で問題があるかもしれない。
そこで私は、1の島谷に焦点をあてるようになった。島谷といっても広い。私は大坂町の十六銀行から桝形の地蔵あたりまで地盤が高くなっている点に注目している。これはかつて小駄良川が押して、吉田川が現在の流路より南を流れていたことを示すのではないか。とすれば、これらより下は不安定な場所だったことになる。以上から、島谷の東部、すなわち桝形以東から愛宕までを最有力と考えるに至ったのである。

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