年の瀬

年の瀬は年の瀬だ。何とか一年が過ぎていく。変わったことは何もない。ただただルーティーンを楽しみながらこなしてきた。
敢えて振り返ってみると、孫のことを除けば、歯に被せてあった金属のはがれてしまったことが印象に残っている。
幸い土台にさほど問題がなかったようで、きれいに掃除した上で再度かぶせることができた。これを機に、裏側の着色や歯垢を掃除してもらうことになり、更に数回通った。
かつては私もまた歯科医院は苦手で、なるべく近寄らないようにしてきた。麻酔やら何やらで、ひどく痛むこともなくなってきたので、近頃はそんなに嫌ってはいない。
現状は一部ブリッジしているものの、まだ何とか二十本以上が使えている。手を抜かずにケアして、最後まで自分の歯でいきたいと思う。ただ、歯槽膿漏で一気に抜けてしまうことがあるそうで、望みどおりに行きますかどうか。
私の中では、歯と年齢は直結している。歯が弱くなると、自分が思う以上のスピードで、顔が老けていく気がしている。タバコも同様で、皮膚の消耗が激しいのではあるまいか。長年タバコを吸っていたので、近ごろ私は、すっかりじじい顔である。
さて、私の師走は年賀状のことが頭をかすめるあたりから始まる。賀状を交換している家から、今年も何枚か弔事を知らせる葉書が届いた。思い浮かぶ顔がこの世のものではなくなっていくわけで、年齢を重ねるごとに、段々ボディーブローとして効いてくる。
気分はせわしいが、実際に忙しいわけではない。大掃除は無理なので仕事場の小掃除、 ゴミをかたづけて真新しいごみ袋にしたり、備品の補充などが浮かぶ。浮かぶだけで、暫く放っておく。
師走の後半に入っても、自宅の掃除や年賀状のことが浮かぶものの、勿論まだ動かない。
子供が一人前になって、クリスマスもとんと縁がなくなった。たまに孫の顔を見ると、どうしようか迷うことがある程度。既に彼は上級に進んでおり、「もう五年生なんだから、誰がプレゼントを持ってくるのか知っている」と控えめに申しておりました。彼なりに大人たちの懐具合を推測しており、高望みしなくなったようである。
このコラムは、原則として毎週月曜日に更新される。ところが年末に数日出かけることになり、それまでに書いてしまわねばならなくなった。どうやらこれが呼び水になって、一つ一つ仕事を始める気になったようである。ただしエンジンはまだかかっていない。
ここら辺りは燃えるごみとプラスチックを分別するので、本日はゴミ袋を二つ持って行き、ゴミ箱をリセットする。年賀状の手書きはまだ無理。

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