和良筋探索
先週は友人の車に同乗して西和良の洲河(すごう)へ行ってきた。いつか書いた餅穴という地名を探索するためである。これによって直接に成果が上がったというわけではないが、土地勘が得られたし、幾つか気づいた点がある。しばらく温めて、いずれ披露できるかもしれない。
今周末もまた、旧友が和良筋のフィールドワークを一緒にしてくれるという。この文章は出発直前の少しばかり高揚した状態で書いている。
いくらコラムとは言え、薄っぺらな意見でよいわけがないし、書き散らかすわけにもいかない。力不足をわきまえず、できるだけ後始末していきたいという思いはある。
彼は地元の出身で、この辺りの地理や歴史に詳しい。あちこちに古くからの人間関係もあるようで、今回もまた相当な戦力になりそうである。
また彼は車の運転が上手な上に慎重であるから、相当な悪路でも安心して任せられる。
あちこちで腰を据えて考えたいことがあるが、そんな贅沢はむずかしかろう。そこで下のようにテーマを絞ってみた。
1 今年書いた「鹿倉(かくら)」(2017年07月03日付け)の語源につき、①「カモシカのいる岩場」、②「狩座(かり-くら)」、③「河倉(かわ-くら)」の三説を目の当たりにしてどう感じるか。できれば鹿倉から、オンボ谷へ入りたい。
2 近ごろ、この地における木地師の分布やら生活が視野に入ってきたので、三庫(みくら)の厚波へ行き、土地勘を得たい。
「厚波」をすぐに読める人はえらい。地元の人でなければ、まず読めまい。或いは地元の人でも読めないかもしれない。解答は最後をご覧ください。近ごろ話題になることがあるので分かるが、私もまた長年その場所も読み方も知らなかった。
私は知ったかぶりする質なので、誰にも真剣に尋ねてこなかったからかもしれない。
3 和良へ入る道中に「万場」というかなり大きな字地名がある。堀越峠から美山へ出る口にあり、地図上は重要な地点に見える。放牧地ないし草刈り地として十分な広さがあるか。
4 江戸時代における祖師野八幡神社を支えた村の中に、飛騨川筋にある保井戸、門原、和佐、久野川の四村も名を連ねている。金山回りでは距離があるものの、馬瀬川筋から峠越えで存外近いらしい。可能ならこのルートも踏査してみたい。
和良の野山が頭の中を駆け巡っている。が、あれもこれもできるはずがない。修学旅行を控えた子供のような気分である。
因みに「厚波」は「あっぱ」と読む。読めましたか。