失敗ばかり

ことさら言うまでもないが、私の人生は失敗ばかりと言ってよい。振り返ってみると、自意識を持つようになったあたりからなので、幼年時代からである。あれこれ書くと切りがないので、最近に絞って原因別に取り上げてみたい。
実際には金があれば暇もできるわけだから比較してもしょうがないけれども、私の意識としては、金と暇を天秤にかけてみると後者が勝る。
これが私の失敗例の一部を構成している。私は家や車はおろか、腕時計や携帯スマホの類も持っていない。家主が何か言ってきても冷や冷やしなければならないし、車がないので冬場に出かけるのはつらい。田舎は公共交通機関が十分でないので車社会になっている。今はどうか知らないが、車に乗ってタバコを買いに行くというような人もいた。
私が腕時計を必要だなと思ったのは全人生の十分の一ほどだと思う。だからと言って、時間にルーズだというわけでもない。携帯の類は、私の側でどうしても必要だと感じたことは記憶にない。ただ相手側が不満を持つことはあったらしい。日常に緊密な連絡が入り込んでいる印象だが、仕事を除けば、それほど必要なのかな。
能力が足りないせいで失敗することも多い。これは全く足りないこともあるし、ほんの少しだけ足りないこともある。
若い時から目指してきた自由やら平等の原則を貫くなどというのは、一瞬たりとも気を抜けないので、全く足りない場合にあたる。私が日夜ごそごそやっている小学の入力やこのコラムなどもこれに入る。
去年だったかにやらかした火傷など、日常の失敗は数えきれない。これはちょっとした注意で避けられるものが多いので後者に入りそうである。
傲慢や独りよがりが原因で人間関係を失うこともある。私の人生では、これも少なくない。自分の哲学やら価値観のなせる業とうそぶいていたが、これもよく考えてみると独善による失敗にあたりそうだ。
仕事でも私事でも失敗続きである。大した能力もないのに気位が高く、人に分ってもらう努力をしないので、思い込みの失敗が目につく。私事についても、衣食住すべてで失敗続きである
こうしてみると、全く希望が持てないように見える。間違いを犯しながらも振り返りながら一歩一歩積み上げてきた人なら、より視野も広くなるだろうし、日常の細々したこともうまくやれるようになれるかもしれない。
私の場合は、今さら性格を作り直すわけにもいかないので、全部受け入れる他なさそうだ。絶望しているかって? ははは、こんなことは何でもない。私にとっては単なる前提に過ぎないよ。

前の記事

晩秋

次の記事

神谷(かみたに)村