ベッド

普通考えれば人生の三分の一は寝ている。歳をとると睡眠時間が少なくてすむのでもう少し短いかもしれない。
しっかり寢るとなると、畳の上に布団を敷くかベッドにするかになる。振り返ってみれば、はっきりした記憶はないとしても、少年期は布団を敷いて寝ていたと思う。
高校に入ったあたりだったか、平屋だった母屋に二階を足して私の部屋にしてくれた。それほど豊かな家計でもなかったろうに、思い切ったことをしたものだ。
西側が締め切りでも、それ以外の三方は窓のある明るい部屋だった。その西側の奥にベッドを置いていた。おそらくこれがベッドデビューだったと思う。
頭の方はちょっとした台になっていて、その奥が作りつけの本棚になっていた。結構大きくてスティール本棚二つ分はあったかな。高校時代なら教科書や参考書ぐらいしかないのでスカスカだったのを覚えている。自分の頭の中を見ているようなので、出来るだけ早く本で一杯にしたかった。
大学は京都で、寮に入った。四人部屋だったかで、二段ベッドが二つ設置してあった。上側も下側も経験したと思う。何年かして別の棟にある二人部屋へ入り、仕切りをして下宿みたいな気分になったこともある。
天日に干すなどということも滅多にないので、ずっと湿気た布団で寝ていた。学校へ行かずに、一日中ベッドで本を読みながら過ごすこともあった。バイトの金が入ると、酒を飲みに出るなどという怠惰な習慣がついていた時期もある。これもまた時代の空気を吸っていたことになろうか。
しばらくして子供ができ、静かな環境を求めて岐阜の田舎で住むことになった。越してしばらくは若夫婦向けのアパートに住んでいた。この頃は、狭いので布団を上げ下ろししていたと思う。
それから町家にある今の借家で通算三十年。空間だけは十分あるので、ベッドにしている。これまではなかったマットの上に布団を敷くので温まりやすいし、掛布団も少なくて済む。こうしてみると、私の人生はせんべい布団とベッドの繰り返しだった。
馴染みの温泉宿はホテルの外観になっているが、食事をしている間に布団が敷いてある旅館形式で、同宿の者たちの目線が同じになって中々よろしい。これらは生活様式がそれほど変わらない例とみてよさそうだ。
我が家の便所がくみ取り式から和式の水洗へ、そして洋式の水洗へ変わっていく過程と比べてみればなかなか興味深い。ここ十年ぐらいはウォシュレットにまで出世している。これはすっかり様変わりした例である。
棺桶の中は何もないけれども、シーツぐらいは敷くだろうから、まあ布団で寝ている感覚に近いのかな。

前の記事

郡上の牛鬼

次の記事

天窓