天窓

少年が階段を下りて見上げながら、「あれは何」と尋ねる。何を言っているのか分からないので同じ方を見上げると天窓だった。
情景が想像できないのではなかろうか。私が仕事場として借りている家は大正時代に建てられたもので、付け足した安普請を除けば、堂々としたものである。しっかりした柱ばかりだし、正目で美しいものが多い。もともと所有者が材木屋だったことに関連しそうだ。
玄関から土間を二間ほど入ると、吹き抜けになっており、見上げると立派な梁が組まれている。高山の町家で見かける様式だが、近ごろ八幡では珍しいように思う。
例え旧家で残っているとしても、暖房が思うようにいかないので天井を張ってしまったところが多いと聞いている。
吹き抜けの南北に上下二階の部屋を作っている。それぞれが十四五畳あり、結構広い。二階の部屋を繋ぐのに渡り廊下をつけ、明り取りに障子で仕切っているのもなかなか洒落ている。いわゆる大正モダンというやつか。
窓がはめ殺しになっている。隣に家が建ったので役に立たなくなったのだろう。町家ではよくあることで、我が家でも西側が開かずの窓になっている。明かりがとれなくなったので屋根に天窓を作ったように見える。今やこのように天窓が働いている家は殆どあるまい。
ただここ十年ばかり、ここから雨漏りする。ちょうど通路に落ちるので、見上げて確かめることがある。高いところからポトリ、ポトリと水が漏れて跳ねる。つけた当時はしっかり水対策をしていただろうが、周囲が朽ちていまい、隙間に水が滲みるのだろう。
山間地では風の強いことが稀なので屋根を重くする必要はなく、雪対策のためトタン板を張りむしろ軽くする。
私がここで住み始めた頃は、それこそどこでもチャンを塗っていた。重い瓦を葺くのは寺などだけで、よほど裕福な家でもトタン板が多かった。近ごろ軽い瓦ができたからか、瓦葺が増えているように見える。
彼はその天窓が白いので気になったのだろうか。切妻の南側に開けてあるので、雪が解けるのが早い。それでも白いのは根雪になっていたからだろう。
去年の秋辺りに屋根を確認してもらっており、雨漏りは減っている。当然厚いガラスをはめているだろうが、雪の重みが心配なのでよく見上げる。
彼が天窓をみつけ、雪で白くなっているのを不審に感じる感性が、私にとっても新鮮だった。見上げるのは夜が多いので、普段は暗い印象である。見慣れてしまったものには中々感慨が湧かないけれども、新鮮な感性を持つ者と共に見るだけで面白みが出てくるのは不思議だ。

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