消えた座布団

仕事場の掃除は毎日少しずつやっている。三日に一度は掃除機をかけ、座布団を叩いてホコリを払い、拭き掃除もする。
まずは座布団を集め、安物の掃除機をかける。結構これに時間がかかり、腕がだるくなったりする。気合の入っている時にはすぐ座布団に取り掛かる。座布団に厚薄大小があるので、叩いている時に、つかみ損ねて小さなものを落としてしまうことがある。一階ならどうということもないが、二階の窓からだと少々面倒なことになる。
さて座布団を並べなおすと、どうしても一枚足りない。違和感がなかったので集めた時には確かにそろっていたと思う。叩く前にはあって、並べたときに足りないのだ。
今回は落とした実感がなかったが、やっぱり落としたのかなと思い降りて探してみた。やはり見当たらない。並べた座布団を上から一枚一枚確かめても見当たらない。人があんなものをどうにかするはずもないし、ミステリーが深まるばかりだった。
埃をはたいていた時に前に車が止まっていたような気がしたので、何かの拍子に車の屋根へ落としたのかもしれないなどと、突拍子もないことを考えたりした。そんなことはまずあるまい。
全く腑に落ちなかったが、それ以上詮索せず拭き掃除にかかった。何となくこれを機に買い足すことを考えていた。
こんな調子でずるずる三日目となり、また掃除で座布団を集めることになった。途中何と、一番大きな座布団の下に探していたものがあるではないか。薄いので重なっていることに気付かなかったのだ。なるほど、そういうことか。
私は、若い時から行き当たりばったりの浮草稼業だった。細かなことまで整理して、効率よくやれたことは殆どなかったように思う。
囲碁や将棋などゲームで構想を練るのは好きだが、人生設計をしたことはないし、計画をたてたこともほとんどない。というようなわけで迂闊なことが多かった。そのおかげか、貧乏でも、様々な場面で楽しい人生を送ってこれた気がする。
歳も歳だし、さてはボケがひどくなったと思われるかもしれない。或いはこちらの方が本筋かもしれない。鋭いね、まさにその通り。
確かに失くしたと思った時にしっかり探せばこんなことにならなかった。認知症が進み、一晩中何やら探し回る姿を想像してしまう。
ひょんなことから座布団が見つかって拍子抜けだが、こんな些細なことでも楽しめる。周りの人には気の毒だとしても、見つからないで大騒ぎする自分が結構気に入っている。

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