人の縁

各人の歴史は人の縁で成り立っていると言っても過言ではあるまい。好むと好まざるにかかわらず人は人から生まれ、人として死んでいく。生まれながらにして人との縁で繋がっており、これを避けがたいわけだ。
それにしても、人によって縁の深みと広がりに違いがある。何代にもわたって一つの地区に暮らす人同士なら、たとえ意見が異なっていても、心底信頼できるものかもしれない。
私は、どこかの馬の骨であるから、そこまでの付き合いは望めない。まして人づきあいが悪いということになっている。時に近寄りがたい雰囲気を出して、とっつきにくい印象があるらしい。
或いは付き合いが上手でないという方が事実に近いかもしれない。青年時代ならいざ知らず、この年になると好んで付き合いを広げることはしなくなった。けっこう長い付き合いをしている人にも、まめに連絡をすることはないし、良い印象を持ってもらう努力をしない。
自分の殻に閉じこもって日常の作業をこなす方が心穏やかだし、気を使うこともない。実際すぐ仕事を始められるし、どんな段取りでも自分で勝手に決めればよいので気楽である。ただ、周りに厳しい目で作業を見る人がいないので、自分自身が最も厳密な批判者になる必要がある。言わば一人二役をしなければならない。
というようなわけで、この年になって交際が芋づる式に増えていくのは想像できないし、望んでもいない。ところが、ここのところ玉突きのように人と出会っている。それぞれ覇気があって、面白そうなことをやっている人たちである。
どうやらこれを演出している人がいるらしい。これには伏線があった。私は毎週このコラムを書いているけれども、筆まめというわけではない。なのに、どうしても断り切れない仕儀に至り、ある郷土誌に投稿することになった。こちらでは伝統ある雑誌でかなり読者がいたようだ。
地元の情報に興味ある子が私に向かって、「図書館で見た雑誌に名前が載っていたよ。らしい感じがした」と言ってくれた。これだけでも十分なのに、他にも何人か問い合わせをしてくる人がいる。
変な人物が書いているということで、目に留まったのだろう。内容はさておき、書いているという事実が目の前にあると、それなりに存在感が出てくるのかもしれない。書く以上は読んでもらいたいが、この辺りから段々面倒くさくなってくる。
今年度は地区の役員が回ってきた。そういう年齢になったという意味がある。やる以上は、前向きに取り組む所存である。不本意ながら、いろいろ縁のできそうな予感がする。

前の記事

消えた座布団

次の記事

雪解け記