マグカップ

ここでコーヒーカップについて書いてからもう十年以上経っている。あれからコーヒーにまつわる状況がすっかり変わった。
前はコーヒーのバラエティーも楽しんでいたし、カップも季節によって変えるなど、その時々の気分を大切にして飲んでいた。ところがここ数年、決まったマグカップにインスタントコーヒーを入れて飲むだけである。
こうまで劇的に変わるには原因があるにしても、ここで取り上げるほどのことはない。
一つだけ確かなことがある。今でもコーヒーの香りや味に多少拘りがあるけれども、どうしてもそうでなければならないという訳ではない。
メーカーに拘るわけでもないし、煎り方に意見があるわけでもない。まあ、らしい味ならば文句はないという程度になっている。分相応というやつか。
細かなこだわりがなければ、いちいちフィルターを濾して入れるのは面倒なので、湯を入れるだけのタイプになってしまう。入れる回数を減らすために、二杯分ぐらい入るマグを使うようになった。
初めに使っていたマグは毎日洗っているのに、段々内側についたコーヒーの残滓が落ちないようになった。ガラス質の貫入が入ったものだったので、少しずつ色素が入り込み、取れなくなったのだろう。これも味の内と考えて使っていたが、色が濃くなっていくにつれて限界を感じるようになった。
そこで二年ほど前、新たに白っぽい陶器のマグを購入して使うようになった。一つ目のことがあるので、毎回念入りに洗うようにしていた。がこれも又、内側と口をつけるあたりが茶色に変色してしまった。
この間、友人と出かけた百円ショップで貫入の無さそうなマグを見つけ、さっさと購入してしまった。デザインや色なども悪くないし、たっぷり入るので結構気に入っていた。
ところがあに図らんや、彼は外側も内側も茶系統の色が気に入らないという。少なくとも内側はコーヒーの色を確かめるために白でなければならない。確かに色のコントラストを楽しめそうだし、濃淡もわかりやすい。なるほど尤もな意見である。
ただコーヒーはメーカーや銘柄によって色の違いがあり、私は、これらを区別して飲んでいるわけではない。飲み慣れてくれば、ティースプーンの盛り具合でどれぐらいの濃さなのか見当がつく気がする。
近ごろのインスタントコーヒーは味、コクは言うに及ばず、かなり香りも楽しめるようになっている。それほど繊細な入れ方をするわけでもないが、何となく、煮えたぎった湯で入れる方がおいしい気がする。これにしても自信があるわけではない。
今使っているものはもうしばらく使って廃棄し、まもなく新しいマグで飲むことになりそうだ。カップを見るたびに、彼の意見を思い出しそうなのが当面の楽しみである。

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