真綿

ある旧家が土蔵を立て直すというので、収蔵物を片付けているところへ伺ったときの話である。
陶器、漆器などの生活雑器、槍などの武具から文書に至るまで多様なものが取り出されていた。陶器だけでも伊万里の大皿や小皿、九谷の赤絵小皿から大型の壺にいたるまで結構なものだった。漆器は何組もの重箱やら菓子皿まで、精巧な装飾が見事だった。越前塗りのように見えたが、自信はない。全体として保存状態がよくなかった。
文書は一部をパラパラ見ただけだが、幕末の安政年間に出版された『正字通』という辞書やら、『日本外史』の解説書などがあった。前者は縮約された普及版で、多数の印が押されており、ここに来るまでに何人もの所有者がいたことが分かる。収蔵された時期が必ずしも江戸時代まで遡れるというわけではないようだ。漢字が旧仮名で読まれている点に興味がある。少なくともこの家に、読み書きの水準を超えて、学問をやっていた人がいたことは確かである。
友人がこれらを含め全ての文書を預かり、リストをつくることになった。私も少しは手伝うことになりそうだ。データ化まで相当時間がかかるだろうが、近世におけるこの地区の様子が見えてくるかもしれない。
繭について聞いてみると、生糸があるという。上手によった撚糸で、まだ使えそうだった。「真綿もありますよ」と言うので、見せてもらった。四隅を引っ張った正方形で、角(つの)真綿と呼ばれるらしい。十枚前後あったろうか。長年蔵にあったからか多くは黄ばんでいたが、何枚か滑らかでツヤのある白が美しいものもあった。
真綿をそれとしてしげしげ見るのはこれが初めてだ。頭の中に「真綿色したシクラメンほど・・・」という歌が流れた。私の年代ならどこかで聴いた記憶があるかもしれない。まっさらな真綿を知らないので推測するほかないが、シクラメンの白はどちらかと言えば木綿に近いのではなかろうか。真綿には透明感とツヤがあり、シクラメンと比べるのはちょっと違和感があった。
木綿は植物由来、真綿は繭糸で動物由来だからそれぞれ異なる。恥ずかしながら、私は長年これらを混同してきた。
「真綿で首を絞める」という慣用句がある。真綿はしなやかであるのみならず、ひっぱりにも強い。真否不明ながら、かつて実際にこれを使う刑があったと聞いている。なるほど。徐々に締めていくので、息苦しさが続いてまことに苦しそうだ。
本邦で真綿は、はるかに木綿より古い歴史がある。布団や丹前などの防寒具の中に入れられたし、郡上紬の材料としても使われていただろう。
浮世は知らないことばかり多く、まだまだ面白いことが待っていそうな気がしてきた。

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