岩あれこれ

私は播州の海辺で育ったので、岩と言えば海岸線に残っている岩を思い浮かべたものだ。
須磨や高砂の松林は砂地に広がっており、防風林の役割もする。砂浜が続くことが多いので、一文字などを突き出して船泊を作るのも大変だった。ご存知の通り明石海峡は海流が速い。海峡の東西もまた流れが早く、かつ複雑なので、常常修理しないと大きな岩でも流される。江戸時代あたりになれば土木技術の水準も上がっただろうに、しょっちゅう一文字が壊れたり流されたりした。
それなりに岩場があれば天然の港ができるが、それでも定期に浚渫しなければ砂に埋まってしまう。
磯は魚介のみならず海藻なども豊富で、浅瀬なら遊び場として限りない面白さがある。かくの如く、岩はいろいろ恵みを与えてくれたように思う。
ところが人生の半分以上を郡上で暮らすことになって、今私が思い浮かぶのは至る所に露出している巨大な岩だ。
八幡の街中でも、至る所にホキがあった。愛宕神社の裏や新橋の架かっている小坂のホキ、尾崎にある洞泉寺の裏の巨大な岩などが思い浮かぶ。多大な努力で切り開き、今では、狭いながらそれぞれ立派な道路がついている。
「岩」は現代仮名遣いでは「いわ」、旧仮名遣いでは「いは」である。またこれより更に大きそうな「巖」はそれぞれ、「いわ-お」「いは-ほ」となっている。これから「岩」は「いは」に充てられた漢字と考えてよさそうだ。
郡上で暮らし、旧東村の岩蔭遺跡や和良九頭宮のご神体になっていると思われる大きな動く岩、那比新宮の岩屋などを見てくると、大きな岩が信仰の対象になっていると考えざるをえなくなる。那比では新宮だけでなく、その道中に「岩蔭遺跡」があるようで、古くから人の気配がある。岩蔭、岩屋の他、岩本もまた地名や姓に使われるが、この辺りでは白山信仰に関連して使われる印象がある。
岩には信仰がつきものなので、語源もまた信仰に関連するのではないかと考えてきた。「岩(いは)」と「祝(いは)ふ」である。後者は「い-はふ(り)」の可能性も考えられるが、敢えてここで披露することにした。前者なら「岩(いは)」から「祝(いはふ)」、後者なら「い(居)-はふり」から「岩(いは)」という要領である。
広く検証してみれば恐らくこれに類する語源説はありそうなので、私の発明と主張している訳ではない。
「巖(いはほ)」は大きな岩がそそり立っている姿を連想するので、あるいは「いは(岩)-ほ(穂)」も考えられる。八百万の物に神が宿るお国柄なので、必ずしも的外れとばかりとは言えまい。

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