郡上人物伝

田舎とは言え、郡上にも一廉の人物が結構いるように見える。私が出会ってきた中にも、なかなか得難い人がいる。
暖かい時期だと、天候が許せば、毎週訪ねる喫茶店がある。八幡の街中からだと結構な道のりがあって、出不精な私では気が遠くなる距離である。まして車のない身では、バイクで行くほかないのでやすやすとは出かける気にならない。
普通なら出かけるのが億劫になるところなのだが、ここ何年も通っている。それほどまでしてなぜ行くのか、今回はこの訳を書いてみよう。
街中にも数々喫茶店がある中、はるばる那比まで出かけるのはそこのマスターが、日々新しくて、興味深い人物だからだ。
一週間も経てばまた違う観点から考えていそうな気がする。年齢は私より五つ六つ上あたり。これだけでもたいしたものだろう。私も一週間考えたことが反芻できる機会になることが多い。
彼は郡上の地名に詳しくて、長年何とかという地名の会の事務局を務めている。彼の知識欲は旺盛で、難解な地名についても正面から取り組んでおり、のめりこんで仮説をたて実証することに余念がない。
それだけでなく、彼は那比の歴史にも詳しい。那比には、高賀信仰の中心たる六社のうち本宮と新宮がある。那比の新宮には宝物が多数収蔵されている。彼はその一つ一つに精通しており、まあ那比を代表する知識人の一人と言ってよかろう。
彼は地元の人なので、周りの信頼も厚い。やれ神社やら、やれ旧家の倉の建て替えなどで資料の整理をしなければならない時にしばしば頼られている。
これぐらいの人になると高慢になりがちだが、彼は学問に対してのみならず同僚に対しても謙虚である。実際のところ、那比にある地名ですらなかなか解明することが難しい。殆ど由来は解けないままである。学問の浅さを嘆いても、けっしてへこたれない。
あの民俗学の大家である柳田国男すら歯が立たなかった「カイツ」「カイト」についても精力的にとりくみ、積み木みたいに仮説を立てては壊しを繰り返している。
毎年この時期は初雪が降っているのに、今年はまだ降っていない。雪が降ると恐ろしくて出かけられない。ところが温かくて道路の雪が消えている時期なら、冬でも出かけることがある。
初冬にしては暖かだったので、先週末にも出かけた。彼は何年か前に郡上の小字をデータ化して必要な人に配布してくれていた。この作業を継続しており、前日に岐阜県全体の小字を全て入力したと言っていた。膨大な資料をコツコツ整理して入力するのは、言うほど簡単ではない。後世に良質な資料を残そうとの一念である。見事ではないか。

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