子供の成長

今年もまた門出の時期が近付いてきた。すでに行き先が決まった子もいるし、なかなか決まらない子もいる。思い通りにいくとは限らない。慌てず、じっくり取り組んでほしい。
我が家の柱には、下から上まで横に短い線が引いてあり、その横に名前と年月日を書いている。子供の背を測った後である。きっちり一年ごとにやるなら、しっかりしたことが言えそうだが、私は気まぐれである。ふと気づいた時にやるだけなので、大体の傾向しか分からない。
線の間隔からすれば女の子は成長がやや早いように感じるが、男の子は小学校高学年から中学生のあたりでぐんぐん背が伸びる。
自分の子なら毎日目にする。それでも伸び盛りであれば、日ごとに背が伸び、声変わりするなど成長に目を見張ることがある。
同居しているなら、爺さんと孫の関係でも変わらない気がする。自分の責任が軽くなるし、距離を置けるからだろう、成長を素直に驚くことができる。
別居していれば、実際に会う機会が一気に減るので、会うたびに何かをしてやりたくなる。無理したくはないが、できることは惜しみなくしてやりたい。甘い爺さんに成り下がる。
子供の食べ盛りは凄まじい。親ならはらはらしながら「腹も身の内」とぐらいは言いそうだが、爺や婆なら、目を細めながら、落ち着いて見ることができる。
そう言えば、自分も中学生の時クラブの友人たちと大食い競争をしたことがある。馬鹿なことをするものだが、どうやら誰でも通る道らしい。
孫のちょっとした所作も、段々大人びていくのが分かる。順調に一人前への道中を進んでいるとすれば、願ったり叶ったりである。
自分の身内でもこうなのだから、一週間ごとに会う子となると、自分の子より成長が早いと感じるのは私だけだろうか。会うたびにどこかが変わっている。
会わなかった時間が長いほど、顔なじみであればあるほど、何もかも変わってしまう子が多い。時に大人びた風情が見られるようになるし、新たなことに取り組む決意みたいなものを感じられることがある。
これは、子供たちが程よいハードルを越えているからという意味がありそうだ。毎日の勉強でもそうだし、部活や遊びでもそうである。
また彼らにも日々様々なコンプレックスが生まれているように感じることもある。これに耐え、何とか対応しているのを見るのも頼もしい。
彼らに贈る立派な言葉は見当たらない。この前も一気飲みで急性アルコール中毒になり、死亡する例があった。何事もほどほどに。
                                              

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