カワイイ

今回のテーマはちょっとばかりチャレンジである。やれ孫だの子猫などが可愛いのとはちょっとばかり異なる。若い娘が花を見てもカワイイ、服を見てもカワイイ、挙句にオッサンを見てもカワイイなどと言う。どうゆう意味なのか、立ち止まって考えてみてもすぐには思い浮かばない。途方に暮れてしまえば、もう何が何だか分からない世界になってしまうので、わたしなりに定義を試みたい。
言葉は大概これを発する者の生い立ちや生き方、環境などによって意味が異なる。従って人が違えば、同じ単語を使っても、伝えたい中身が同じとは限らない。娘たちが言う「カワイイ」と、私が感じる「かわいい」とは相当乖離するようだ。
郡上弁で「かわええ」と「かわいい」は音義共に異なる。「かわええ」は「可哀想な」、「かわいい」は「可愛い」あたり。「かわええ」はれっきとした方言で、古語に淵源がある。昔古典を勉強した時のことを思い出すかもしれない。恐らく「かわいい」はその派生で、意味が加わったのはあるまいか。
私は「かわええ」「かわいい」のどちらも殆んど使わない。「かわええ」の方は理由がはっきりしている。若い時から、自分は安全圏に身を置いたまま、人に同情するようなことを許してこなかった。一段高いところに立って物を言うような心地になるからである。
「かわいい」という語もまた殆ど使ったことがない。こちらの方は理由がはっきりしない。惚れた異姓とか、孫が可愛いと言われれば確かにそうだ。これらの場合、前者なら「可愛い」と感じればドキドキするし、後者ならそれなりに面倒をみたくなる。自分が当事者になるなら、分からないこともない。が、実際には関係ないところに身を置いて「可愛い」と言ってみたところで、情が湧くわけではない。必ずしも私が薄情だからというわけでもあるまい。
小さな子たちが家の前を元気に通り過ぎるの見るのは微笑ましい。中に挨拶する子がいたりすると、なかなか気分が良い。無事に登下校して欲しいとは思っても、特に何をするわけでもない。今までの経緯があるからか、彼らを「かわいい」と口に出すのは嘘くさくて、足が地についていない気がする。
私にとって「カワイイ」はもはや外国語の部類に入る。何かの折に、<cute>という語が思い浮かんだ。ただこれでは目の前に何らかの実態が必要な気がして、なんだか解釈が物足りない。<super cute><fashionably cute><stylishly cute>等と翻訳される場合がある。
彼女達もファッションに金をつぎ込むなど、実体を伴っていると感じているかもしれない。淵源は母性にあるかもしれないが、なぜか「愛おしい」だの「可愛い」だのというような深みのある感情を表しているとは考えにくい。「カワイイ」と言った瞬間、「カワイイ」と言う自分も「カワイイ」側に立てると感じるのだろうか。あまり体温を感じない。

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