ショックを受ける
歳をとり感受性が鈍くなったのか、驚いたりショックを受けることが少なくなってきたように思う。ただ私個人がそうだということで、世代を代表しているなどと考えているわけではない。
前回書いた「赤い風車」というコラムが話題になった際、友人から「今時、カスバの女という曲を知っている人はあなたと同世代ぐらいで、例えば五十代前半の我々では殆ど知らないと思う」と言われてしまった。自分には馴染みがあっても殆どの人は知らないのかと実感してしまった。そもそも歌の流行は世につれどんどん変わっていくから当然と言えば当然だが、そんなものだろうなと頭のどこかで感じていただけだった。
してみると自分に実感があっても、違う世代の人には殆んど説得力を持たない話題が他にもありそうだ。長い間書いていながら、こんなことも気づかない。自分の趣味やら興味を優先するあまり、読み手のことが抜け落ちている。長く続けることには良い点もあろうが、欠点も多い。書けるという自惚れが出てきて、初心を忘れ、我儘な話がだらだら進んでしまう。
改めて自分の立ち位置を考えてみると、これを載せてくれているサイトのみならず読み手に対しても何がしかの責任を負っている。面白味の有るテーマを自分なりに扱うことで書き続けられてきたのは確かだが、歳をとることで現役世代とは話題にギャップが生じていることに気づかなかった。まず読んで面白いと感じてもらうのが第一のはずだ。文章を公開している以上、当然の願いと言ってよい。自分や自分を理解してくれそうな人だけでなく、多くの人に読んでもらう気持ちを持ちつづけたい。
幕引きを感じながら、多少言い分が無いわけではない。高齢者として片隅で生きているように見えても社会の一員である。問題は扱うテーマが世代を超えられるかどうかだ。まあ、自分で書いているものにさほど普遍性があるとは思えないけれども、ただ懐かしむために書いているわけでもない。
新型コロナの緊急事態宣言が一服し、少しばかり気が晴れている。冬場に向けてまだまだ用心しなければなるまいが、今月末に例の仲間と温泉へ行けることになった。出かける気満々ながら、まだクリアしなければならない条件がある。
今回は祖師野八幡宮の四本柱に関連して、和良筋から旧東村における諏訪神社を二三訪問できることになっている。ゆっくり湯につかって翌日には飛騨川筋にある萩原の諏訪神社へ行けそうだ。祖師野八幡宮の大般若經奥書を見ると、そこで書写されてから奉納されている。両社はかなり険しい峠で隔てられており、その結びつきが気になっている。 髭じいさん