樅について気になること

年末のクリスマスにちょっと気になったことがある。ツリーは確か樅(もみ)だった気がする。すっと伸びた姿は確かに品がある。私でも感じるのだから、キリスト教徒なら尚更だろう。ならば樅は聖なる木と考えられているのだろうか。

そう言えば諏訪大社の御柱もやはり樅である。映像で何度も御柱祭をみてきた。大勢の人が大木を滑り落とす姿は壮観だ。あれほどの急阪だから勢いがついてしまえばそうとう危険だろうに、中止になるという話は聞かない。よほど信仰心が篤いのだろう。

ツリーは伸び盛りの末や枝を使うようだが、御柱は幹を使うので同じように考えてよいのかどうか。どちらも淵源が深そうである。

いつだったか高賀山へつづく修験の道を歩いていた時の事を思い出す。緩やかな尾根道を道なりに歩いていると、突如巨大な樅の木が何本も連なっているのに驚いたことがある。その時には土地勘を養うだの、辺りの字や通称地名の方に集中していたので、ああそんなものかという具合に通り過ぎてしまった。

今思えば目測でもしっかりその高さの見当をつけておくべきだったし、本の太さも計測しておけばよかった。逃した魚は大きく見える。ぼんやりした記憶では高さ二十メートル以上、本は二尺以上あっただろう。樅の生態をよく知らないので信仰の道だったからなのか自然の植生だからなのか分からない。針葉樹ということか、高く真直ぐに伸びた姿には気高さがあったし威圧感を感じたものだ。

「モミ」の語源に定説はないようだが、「樅は神聖な木で信仰の対象となっていたことから、臣木(おみのき)を語源とする」というような説があり、満更でない気がする。

『説文』で「樅」は「樅 松葉柏身 從木 從聲」(六篇上134)、『爾雅』という辞書でも同じなので相当長い年月受け入れられてきた解ということになる。「松柏」は長寿の木として貴ばれてきただけでなく、古来位ある者達に重視されてきた木で宗廟などでも使われてきた。『爾雅』郭璞の注に「今大廟梁材用此木」とあり、これを確認できる。この他、材としては建築、造船などに用ひられてきた。中国でも古来、樅を尊い木と解されてきたことになろう。

あれやこれやで偶然でないような気がしてきた。本邦の場合も又、少なくともこの辺りでは、樅が信仰の対象になっていたのではあるまいか。四本柱を確かめに出かけた温泉旅行は豊作だったが、祖師野八幡宮、小坂の諏訪神社、上呂の久津八幡宮などは確信までは持てないけれども、全て欅(けやき)か「檜(ひのき)」であって樅ではないと思われた。これから推察するに、樅は御柱であって四本柱に使われていないことになる。これはこれで重大なテーマが隠れている。樅の御柱は祖廟のありかを示すのみならず、船材としての痕跡を残している可能性がある。                                               髭じいさん

前の記事

年末年始

次の記事

白鷺