風呂

今回は気楽に風呂について振り返ってみたい。さまざまな事が溢れ出てくる人も多いのではあるまいか。私もまたこの歳になるまで長い期間お世話になっており、次々浮かんでは消えていく。

まずは「もしも月給が上ったら」という歌謡曲から。昭和十二年に出された歌だそうで、わたしより二回り位上の世代に流行ったものらしい。その中に、「もしも月給が上ったら、風呂場を建てたい、そしたら背中を流してくれるかな」というような歌詞だったと思う。掛け合いが面白く、何となく頭に残っている。

この場合、「風呂場を建てたい」なので、この夫婦は既に一軒家に住んでいることが想像される。そして銭湯へ行く。これより下ってサザエさん一家の事を考えても、東京だかその近郊に一軒家を構えていることがすごい。

戦前から庶民は銭湯に通っていた人が多いと思う。サザエさんの家では何時ごろ内風呂になったのか覚えがない。私もまた少年時代から銭湯に通っており、中学だか高校へ通うあたりでやっと小さな内風呂ができたように思う。これで面倒なことが減って喜んだ反面、小さな浴槽で体が温まる訳もなく、時々に銭湯へ浸かりに行った。床几を出して将棋を指しているのを行き帰りに観戦したり、何かしら人との触れ合いがあったように思う。

テレビで「あの橋のたもとで」というドラマをやっている時には、風呂屋ががら空きになったというようなことを薄っすら覚えているし、プロレスの中継をやっている時もまたしかりだった。

話を聞いてみると八幡でも同じような感じだったらしい。風呂屋が繁盛していた時代には、夕方から夜更けまで結構人通りがあったという。商店街でも夜遅くまで店を開けていた。高度成長期の末あたりから各家で内風呂を備えることが多くなり、夜になるとめっきり人通りが減ったと思われる。酒を提供する店などを除き、夜にはどの店もシャッターが降りるようになってしまった。

近ごろすっかり内風呂が当たり前になり、次々風呂屋が姿を消すようになると、夕方から夜の文化が消えてしまった。地域の社交場であり、本音で情報交換できた場所が無くなるわけで、人と人の情が通うことも少なくなってしまったかもしれない。

風呂でのルーティーンに触れるスペースが無くなってしまった。人によって千差万別で、年代によっても、季節によっても変わりそうだ。

近ごろ、年寄りのヒートショックが恐いということで風呂をちょっと手直ししてもらった。昔なら気にならなかった真冬の入浴も、気をつけないと危ないらしい。が、どちらかと言うと私は、浸かりすぎてのぼせる方が危ないと感じたりする。                                              髭じいさん

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