雲京(うんきょう)

しばらく地名の話が続いてしまう。興味のない人も自分の出身地ぐらいは気になるだろうから、その続きとして楽しんでもらいたい。郡上から遠く離れた人も旅気分で、参考にしてもらえれば嬉しい。

地元の長老に聞くと、「くも-キョウ」と湯桶に読むのであって「ウンキョウ」ではないという意見があった。決して軽く扱っているわけではないが、ここでは公式記録にある後者としておく。

歴史と言うのは書かれたものを基本とするので、地名など学問の対象にならないと考える人が多そうだ。だが地名はそれぞれの土地にそれぞれの時代背景をもって名づけられてきた。言わば、土地に刻まれた歴史そのものと考えて良いのではあるまいか。ただ何時頃名付けられたのかはっきりしないことが多いので、史料として扱うには細心の注意を払わなければなるまい。

これまで小野の場合、「ヒッツリ」「ヒガンデ」「東山(シガシ-ヤマ)」などを取り上げてきた。アクセントにしても音韻にしても東部方言の西端であることを示している。これはこの地が西からの力に支配されることが多かったので不思議な気分だ。私は郡上方言の最も深層にあるのがこの東部方言だと考えているので、これらの地名もまた非常に古いだろう。

これに対し「雲京」は「ウン-キヤウ」であって音読みだ。この地では新しい文化だったと思われる。そこで「雲京」の意味を探ることになるが、これだけでは見当がつかない。天上の京にしては川沿いにあるし、雲をつくような杉の木があったとしても京には繋がらない。

そこで視点を変えて類似する地名を探ってみても、さすがに田舎のことなので、「京」のつくものは多くない。それでも幾つかあって和良筋の「土京(ドキョウ)」、大字市島の「京塚(キョウヅカ)」、有坂及び亀尾島筋の「京ヶ野(キョウガノ)」等を挙げられる。

今回は「雲京」と「土京」を対応させてみる。と言うのも語形が同じで共に音読みであること、地理上もさほど離れていないからである。そして「土京」の「土」と「雲京」の「雲」を併せれば、土雲という事になる。土雲は『古事記』などで何回も登場する語で、まつろわぬ者たちを指して言う。

近いうちに触れるつもりだが、少しばかり明かしておくと、「京」は本来アーチ型の門を象っている。後に、敵対するものを討ってその屍を埋め、その上に土を盛ることを意味するようになった。用例として南北朝代まで見られる。

つまりはこの地に居た先住者達を討ち、辺りに凱旋門ないし大規模な塚を造ったことを示さないか。郡上郡設置に先立ってのことだと思われる。私が想定する郡衙から余りに近すぎるので、時間差を設ける外ないからである。

郡衙の教養あるお役人が勝者としてこんな地名をつけたのなら驚けない。                                               髭じいさん

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