風呂(2)

前々回、奈良県吉野を中心とする風呂地名を紹介した。殊更私が取り上げるのも分を過ぎた行為だが、これまでの経緯があるのでご容赦願いたい。

フロの語源として室(ムロ)という意見を採用した。これから、ムロ-ブロ-フロの経過を経ていると考えてみたのである。

これにはそれなりの根拠があって、一つには万場(マンバ)と番場(バンバ)、美山(ミヤマ)と美人(ビジン)、武者(ムシャ)と武士(ブシ)、無名(ムメイ)と無事(ブジ)、迷路(メイロ)と米穀(ベイコク)、亡者(モウジャ)と亡霊(ボウレイ)、母袋(モタイ)と母体(ボタイ)などのように和語でも漢語でもマ行とバ行は近しい関係にあって、相通じていると考えられること。つまりムロ-ブロについても基本の意味を変えずに音変化する可能性があるわけだ。

もう一つは、『古事記』の仮名を中心としてバ行で始まる語が少ないことである。方言には反例が見られるとしても、記録として残るものに関しては七世紀後半から八世紀前半に見られる傾向と言ってよい。吉野で「風呂辻」を「ブロンツジ」と呼ぶところがあるそうな。古く遡れるとすれば、方言たる所以である。つまりは仮名を制作した者たちはバ行で始まる語を正しく認識し記録することが難しかった。これからブロ-フロ(プロ)と認識されたのではあるまいか。これらはムロ-ブロ-フロの音変化が満更でもないことを示しているだろう。

それではこのフロに「風呂」という漢字をあてた理由だが、実の所よく分からない。「風」は万葉仮名ではない。漢語音「フウ」の一部を借りて「フ」と読んだとは解せるけれども、数百例も殆んど例外なくこの字が使われている。何らかの必然性が隠れているのは間違いあるまい。

いつ頃から「風‐呂」を使い始めたのか分からないので闇の中だが、これを上の仮説に従い八世紀前半とすれば、次の三つがヒントになりそうだ。

1 「室(むろ)」は祖先を崇拝する恒久の施設だろうから、これを守る者達が用語を簡単に変えるとは考えにくい。

2 「風呂」の「呂」は「旅」と仮借である。旅は軍事を具現することがあり、疾風のごとき軍事行為と解する。つまり勝者の改変で、小中華思想により「室(むろ)」を矮小化したのではないか。

3 前回あげた『播磨風土記』讃容郡条に「室原山 風を屏(さ)ふること、室の如し」のような連想が広くあったと考える。この場合、「呂」を乙類の仮名とみるのは「風」が漢語なので座りが悪い。

仮名は和語を表すために作られた。が、これを作るには十分な漢語の知識が要るし、定着させるには又長年の努力が必要だっただろう。

「風呂〇〇」と風呂が先に来る点については、「風呂」又は「風呂本」などの分布から、「室」文化を共有する部族ないし緩い国家を想定している。                                               髭じいさん

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