勝皿(かっさら)など

この前、和良の語源を「蕨生(わらひふ)」とする点に触れたが、紙幅が足りず音変化について言及できなかった。今回はこれを補うと共に、傍証と見られる勝皿の例を取り上げてみたい。

「ひ」は「平(たひら)」が「たいら」になるなど「い」になったり、「ゐひかり」(奈良)が「ゐかり」になるなどで消えてしまう例を示してきた。

「ふ」も又同じように考えられそうだ。「行なふ」が「おこなう」などで「う」に変化するのは旧仮名遣いが現代仮名になったというだけではなく、実際の音変化を背景にしていることはお分かりだと思う。ただ、「ふ」が上の「ひ」と同じように消えてしまう例が身の回りに見当たらないのが不満だった。

そこで「蕨生(わらひふ)」をその実例として取り上げたい。越前大野に荒島岳という山がある。「物部氏ノ神靈坐山ナリ」と伝えられ、『旧事本紀』に「物部ノ荒山ノ弟麻作連笑原連ノ祖ナリ」とあるのがこれに関連すると考えられてきた。私はこの「笑原連」に注目している。「笑原」は「わらひはら」で「笑」は「わらひ」だろう。「和良比婦(わらひふ)」の「ふ」が抜け落ちたと解したい。そしてもう一つ。

郡上には「皿」地名が五、六例ある。旧村名として小駄良筋の「深皿」、有坂の「勝皿」が知られ、この他「場皿」「半皿」などがある。

この地における皿地名は河川の脇にあることが共通している。これまで河川の氾濫により田畑や道が流されて川床になり、石がごろごろしている地形を指すと解されてきた。大きな河川で水の流れておらず、中小の石が転がっているような所を今でも「ざら場」というのが関連しよう。

この「さら」「ざら」は「浚(さら)う」「攫(さら)う」の語幹だろう。大水が田畑などを根こそぎ浚ったのではないか。これらは深皿の伝承とも一致する。これは見方を変えれば、「さらう」は「さらふ」だろうから、「ふ」が消えたと考えられる。現状、「深皿」は「深く浚ふ」、勝皿は「かっさらふ」ないし「笠さらふ」と解している。

これらが互いに傍証するとして、「蕨生(わらひふ)」が「わらひ(蕨、笑)」へ、「わらひ」が「わら」へ省音化したという仮説に至るわけだ。

この省音はこの地が東部方言の西端であり、かつ西部方言の影響を色濃く受けていることによるだろう。東部方言は開母音による母音の羅列を嫌い、これを減らそうとする傾向がある。「塩辛い(しおからい)」が「しょっぱい」と言った具合である。

この地の地名にかなり音を省くものがあるのは、用語として西部方言が入って来たとしても、これに違和感を感じるものがあったのだろう。「は」行について言えば、「は」が「わ」、「ひ」が「い」、「ふ」が「う」というような変化には普遍性がある。これに対し、これらがすっかり消えてしまうのには異なる契機が必要だった。                                               髭じいさん

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