一人暮らし

題を「独居」にしようとしたが、私如きが使うには分を超えていると気づき、柔らかめの「一人暮らし」にした。私の知るかぎり八幡では独居している人が結構多いと思う。彼らは年季が入っており、こちらで生活する限り、ずっと一人暮らしのようである。

身寄りのある人はまだ好い。孤独死するような人は身よりだけでなく、近所づきあいも薄くなり、人としての関わりがなくなっていくのだろう。これまでを振り返ってみれば、自分の行く末も左程変わらない気もする。生きているというのは命があると言うだけでなく、不本意ながら命を長らえさせようとしている意味がある。

私が再度、一人暮らしを始めて二週間ほどが過ぎた。私の場合は期限付きの留守番みたいなもので、もう一ヶ月ほどの予定である。この一人暮らしが今後役にたつのかどうか分からない。が、とりあえずレポートをしてみようと思う。参考にしていただければ幸甚です。

朝起きてからのルーティーンは以前とほぼ変わらない。年寄りの一人暮らしと言うことで、飛んだり跳ねたりするわけもなく、ちょっとばかり変わった点を拾ってみることになる。

朝食が終わった後、食器を洗い、更に湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れるまでは同じ。それからパソコンの前に座ってライフワークにしている作業をするのも同じ。一息入れた辺りから段々心持が変わってくる。空模様を確認して、洗濯をどうするかをあれこれ考える。チャンスだと思えば、洗濯ものをまとめて洗濯機に入れて回す。そうしておいて、もとの作業に戻る。

しばらくするとやっぱり洗濯の事が気にかかる。脱水が終わっていれは裏庭に干す。これにしても気にかかることがある。この前、晴れていたので安心していたら、知らぬ間にしぐれていたらしく乾きかけていたのが元の木阿弥になってしまった。気を取り直して家の中に取り込んで乾かすことになった。たとえ乾いても、畳んで収納するまではなかなか大変だ。

そんなことをしていると昼飯のことが気にかかる。一人なので、大概はコンビニへ歩いて行きパンなどを買ってくる。この時が大事で、夕飯のことが頭に浮かぶ時には弁当を食う段取りができる。浮かばない時には、仕事から帰る段になって途方に暮れる。

私は野菜の煮物が好きなので、たいては白菜や切り干し大根等と杉定の厚揚げを一緒に煮たものを常備している。これさえあればひもじいということはない。インスタントラーメンやらチンすれば食べられる飯を買いだめしているので何とかなる。

この時期は湯たんぽが恋しくなる。となると我が家では旧式のストーブで湯を沸かすので、一連の作業が増えてしまう。まあ、今のところ体調は悪くない。                                              髭じいさん