瘡(かさ)と見られる笠地名

地名を歴史学の一分野へ昇華するのは、地名のついた時期がはっきりしないので大層難しい。しかし簡単に諦めるわけにはいかない。地名は現在でも使われているものを扱うことが多いので、しっかり配慮しないと、バッシングを受けることがある。最近でも明方が明宝へ、美並の半在(はんざい)が同音語を嫌ってか八坂へ変更されている。事程左様に、自分の住む土地へ強いこだわりがあると言ってよかろう。私の書こうとしているものが地元の人へ不快感を与えるのであれば、これを止めるべきか悩む所だ。

現状、私が瘡(かさ)と見ている笠地名を幾つか拾ってみると次のようになる。

1 初音の「笠ドヤ」は「笠-ドヤ」に分けられよう。「ドヤ」に注目すると、「宿(ヤド)」を逆から読んで「ドヤ」になったと考えられよう。この他、「ヤ-ドヤ」に拘る人もいる。

郡上にも宿を地名にするものがあり、これをわざわざ逆に読んでいるので、「ドヤ」を隠語と考えてよさそうだ。小駄良筋は白山信仰の主要な参道であり、参拝者はもちろん、芸人や行商人等の旅の者も多かっただろう。又、「ドヤ」は私娼窟や売春宿の意味に使われる。不特定多数の者と交わるので、梅毒など感染症の広がることがあったのではないか。初音のある洞に「比丘尼」という通称地名がある。近在の若者も足しげく通ったそうだ。

2 和良筋の土京、鹿倉の「笠垣内(かさかきうち)は、これだけでは判断が難しいが、土京の「コセ」、鹿倉の「コセ垣内(かきうち)」が関連すると思われる。「コセ」だけなら「小瀬」なども考えられるとしても、郡上で「小瀬」は「ヲゼ」と読まれることが多いし、瀬取の大瀬子、小瀬古は「おおーセコ」「こ-セコ」であって「コセ」とは読めない。私は一つの案として「こせ-かさ」と解している。これなら、やはり「瘡(かさ)」に関連しそうである。どちらにも「笠」「コセ」がある点が偶然とは考えにくい。

3 又、勝皿の「笠掛洞」もこれだけでは判断しにくいが、この地区に「ドヤ洞」という通称地名がある。勝皿へは八幡から舟で渡る便が古くからあったようで、やはり白山信仰の参道にあたる地である。長良川左岸にある大きな歩岐を避けるためだと思われる。この地区には、更に比丘尼平(ビクニひら)という通称地名がある。

4 相生の「笠神」もこれだけでははっきりしない。天然痘などに苦しむ者達が治癒を願ってここへ参っただけかも知れないが、私はこの付近にある比丘尼という小字が気になっている。ここは長良川筋から那比へ行く街道になっており、高賀山信仰の参道である。人の行き来も多かったのではあるまいか。

だからと言って、私は凡ての比丘尼地名をこれらの感染症に結び付けているわけではない。清廉な者達も多かっただろう。一歩一歩実証していく所存である。                                               髭じいさん

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