武洞(ムトウ)

「ムトウ」と読む。違和感があるのではないか。「洞」を「ほら」ではなく「トウ」と音読みする地名は他にない。私はこの地に根を下ろし始めてからすでに五十年近く経つ。以来、数限りなくこの地名を聞いてきたのにまだ腑に落ちていない。

これまで色々取り組んできた。字形を優先して「たけぼら」とし「竹洞」と解してみたり、「ムトウ」という音から迫ろうとしてきたが手ごたえのある案が出てこなかった。それほど時間も残されていないので、ここら辺りで纏めとして近頃考えているアプローチを見ていただくことにする。

尾崎に洞泉寺があって「トウセンジ」と呼ばれ「洞」が音読みされている。「武洞」も「ムトウ」だから、又仏教に関連する地名なのかなと言うのが一つ。

また郡上八幡で「ムトウ」はかつて火葬場が併設されていた大規模な墓地のある字名なので、これもまた仏教に関連する可能性を感じさせる。

これとは別に、私は八幡町那比にある「東坊(トウボ)」、同相生荒倉の「東棒」、美並三戸の「トウボ」など「トウボ」に関心があって、解析を試みてきた。そこではどうやら墓地に関連しそうなことが分かってきたので、「塔墓(トウボ)」ではないかと推測している。中濃地区では関市の「塔ノ洞」などに用例があって、満更架空の意見でもない。

この場合、「塔」は「五重の塔」「三重の塔」「五輪塔」「卒塔婆(ソトウバ ソトバ)」「塔頭(タッチュウ)」やらの「塔」が考えられる。いずれもサンスクリットの「ストゥーパ」に由来する。墓地に関連するとすれば「五輪塔」「卒塔婆」が有力に感じられる。「トウボ」にしても音読みされているし、仏教に関連しそうだ。

かくして「ムトウ」も「無塔」ではないかと思えるようになった。「無塔墓」である。これには因縁がある。「ムトウ」について囲碁仲間に話したところ、「塔だろう」という意見があり、目が覚めたような感覚を得た。このアイデアが正鵠を得ているのであれば彼のおかげであるし、たとえ誤りだとしても新たな視点を与えてくれたことは間違いない。説得力のある仮説ができないとすれば全て私に責任がある。

さて「武洞(ムトウ)」が「無塔」でよければ、これはこれで重要なテーマが生れてくる。郡上は長年長滝寺を中心とする天台宗の勢力下にあった。十五世紀末に蓮如が越前吉崎に道場をつくり布教を始めてから、越前のみならず郡上でも一気に浄土真宗が広がった。この辺りでは天台宗から真宗へ転じた寺が多かったのである。

墓制に関して言うと、天台宗が伝統的に土葬であったのに対し、真宗は火葬である。つまり郡上の地においては、瞬く間に土葬から火葬へ変わったわけだ。死生観のみならず人生観そのものへ大きな影響があったことは間違いあるまい。

私は「五輪塔」や「卒塔婆」が天台宗や禅宗の土葬に深く関連すると考えており、「武洞(ムトウ)」が「無塔(ムトウ)」でよければ、この地に火葬場のある点が気になる。

「トウボ」が「塔墓」なら、この地においては五輪塔や卒塔婆が立つ天台宗系の墓地が想定できる。これについてはいずれ再論するつもりだ。

これに対し「ムトウ」が「無塔」で「五輪塔」や「卒塔婆(ソトウバ)」が無いとすれば、かつて無縁仏の埋葬地であった可能性もあろうが、或いは真宗以後の火葬墓を示していることにならないか。

「塔墓」はあくまで個人墓であって土葬にはそれなりの広さが要る。一族ともなれば相当な墓域となろう。これに対し「無塔」は、火葬を前提にしているとすれば、簡素な葬法なのでそれほどの広さは要らない。家族墓として集約しやすい意味があっただろう。

以上、塔墓から無塔墓への変遷はまさに時代の節目になったのではないか。これは、その後さまざま変遷があったとしても、未だに受け継がれているように思われる。                                               髭じいさん

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