自由と平等

 フランス国旗の3色は自由、平等そして博愛を象徴して、人間のもっとも大切なものを革命(建国)の精神としている。これらはいずれも重要な、あるべき人間の権利である。筆者はここで敢えて「自由」と「平等」と云う概念について考えてみようとおもう。「自由」であることと、「平等」であることはどちらがより、自然的、根源的なものであろうか?「平等」をより根源的なものだとすればこれから「自由」を導き出せるだろうか。「平等」は等しいこと、同一性を意味していて、「自由」のように多様性を浮オていない。導くことは難しい。逆に「自由」からは「平等」を導くことが可狽ナある。なぜならば、「社会」の中に在って、自己の自由を主張する事は他者の自由を認めなければ真の自由とは云えないからなのである。互いに対等な関係を必要とするのである。すなわち、対等という事は、「平等」であると言うことである。「自由」の概念があって「平等」の概念が生まれるのである。社会を維持するための理念として、「自由」「平等」はいずれも最も基本的なものであるが、しばしば、「平等」の名のもとに「自由」は制限されてきた。「自由」は自然的なもので、「平等」はより社会的な概念であるといえよう。これをさらにすすめると、「平等」は「社会正義」を要求する。「社会正義」は「イデオロギー」になる。「イデオロギー」は「社会」の活力を奪い、「自由」を抑圧することになる。一方、「自由」はより自然的な性格故に、多様性と混沌を生み出す。現代は、そうした只中にあるといえる。これを乗り越えるためには「正義」「倫理」「宗教」などの概念でなく、「自由」というものをより深く問い直すことが鍵になると思うのである。

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