恒心

「継続は力なり」、はよく耳にする文である。若いとき一気呵成に才能を開花させることもあるし、一瞬の力が重要な場合もあろう。だが、短期間では成果を期待できない分野も多い。
「恒産なき者、恒心なし」もまた真実と言えよう。生活に窮する者が、継続を必要とする作業に耐えられるはずもない。また恒心のない者に、多くを期待することはできまい。賢人とは、「賢」の中に貝が入っている如く、最低限飯を食えておって、それなりに継続して世の中の為に生きられる人でなければなるまい。
ここまで来て、私にその資格がないことに気が付いた。私には財産というものが全くないし、高邁な精神というやつもない。しかし、庶民の常として、これで黙って引き下がるわけにもいかない。
人間を個人とみると、金儲けが抜群に上手である人を除けば、せいぜい家を一軒建てるぐらいが関の山である。悠然とした余生を送れる人は、それ程多くあるまい。
私は金持ちであるより、時間持ちであることに拘ってきた。という事で、結局その家すら手の届かない貧乏人になってしまった。従って、「賢人」から歯牙にも掛けられない立場なのかもしれない。
「小人は閑居して、不善をなす」も心に刺さる文だ。振り返ってみると、確かに人様の役に立つことをしてきたとは言えない。しかし、小人にも自負がある。残りの人生で幾らかでも貢献できるかもしれないではないか。
この世では有無を言わさず人を動かす力も必要だろうが、なんとなく必然の道順で生きることを上等に考えたい。私の場合は、若い時に背負ってしまった宿題を、死ぬまでぼちぼちやり抜くだけである。

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