日本という国号

平明な論理と平凡な理性が働かない国に未来はない。歴史の教訓である。
日本という国家がいつ生まれたのかは歴史学のテーマであって、政治問題ではない。二月に「建国記念日」というのがあるが、これは「紀元節」の考えに基づいている。二千何百年か前に新憲法があったとは聞いていないので、今との関わりがよく分からない。現日本国の成立は、敗戦を経験した後で、二十世紀である。
そもそも現在の歴史家が真面目に紀元節を信用して歴史観を建てているとは思えない。つまりは、歴史学の成果が信用されず、世論ないし政治の力で歴史観が歪められていると言ってよかろう。
歴史学の基本は、各人がそれぞれの価値観によって史料を選択し、歴史観としてつくり上げたものである。これを議論によって鍛え上げ、共通の認識を育んでいくのが原則である。従って歴史家が、論争を避けて、大人の振りをするのは禁じ手だ。
歴史家は文字史料にのみ縛られる。これもまた曲げられない原則で、大義や正義感あるいは「政治的配慮」の入る余地はない。だからこそ客観性を得ることが出来、説得力が生まれるのである。
私は紀元節の基本史料である『日本書紀』を、「日本国」の「書紀」と考えている。日本国が列島を代表する国家として成立し、その正統性を内外に知らせる役割を持った史書と解している。
従って、「日本国」のプロパガンダであった性格が強く、客観性を犠牲にしている所も多い。用心しないと使えない史料ではなかろうか。
古代史に関して言えば、「客観性」を増すために考古学を取り入れ、大胆な「仮説」を色々つくり上げてきた。「騎馬民族説」もその一つで、一応の役割を果たしたと言えるかもしれない。
だが、これらを歴史学と呼ぶことは出来ない。背景となる文字史料が全くないからだ。
私は今、「日本国」の成立を六世紀まで遡らせる案にとりつかれている。仮説の内容については、いずれということで。

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