白山奥院(2)

前回は、紀記の「大己貴命」「大穴牟遲神」や「大汝命」が「越南知」「越南智」を原形にするのではないかと述べた。今回は、「越南知」「越南智」が「越知」「越智」へ遡れるかを考えてみよう。
白山を開いたとされる泰澄が、まず越前の「越知山」で修行していたことはつとに知られている。越知氏は、この地域に限らず、広く列島に勢力を有した。泰澄自身がこの越知氏に関連することも、いずれ言及できるかもしれない。
「南」が挟まっている点だが、無論「ヲナンチ」という音が先にあって、これに漢字を当てたとも考えられる。だが、「南」を「ナン」の仮名とする例がないし、これだけでは意味不明の句としか考えようがない。
従って、実際に「南」の意味をもつ漢語とみるか、仏教に関連した仮借音に由来すると考える辺りではないか。
前者の場合、越知氏の祖先神名ないし出自を示していることになる。「南」が楽器の銅鼓に由来するらしいことを思えば神名にふさわしいとも言えるし、南方出自を誇っていると考えられなくもない。
この他、紀記が「ナン」ではなく「ナム」「ナミ」と唇音化していることから、「南」の漢語音を確かめる必要があるし、「南」のつく時期を推定するために仏教との関連も探らねばならない。
いずれにしても、「越」「知」という仮名の間に異質な漢語が挟まっているのであるから、「越南知」「越南智」が「越知」「越智」を原形にすることを示唆している。
越前では多く山上に古墳が見られる。当然、山上に祖先神が鎮座すると考えるようになるだろう。白山はその集大成とも言える山であり、如何なる氏族が自らの祖先を祀るかは重大な問題である。従って、越知氏の祖先神を白山三社の一つに加えたことは、この地域でも越知氏の勢力が優勢を保った時期のあることを示している。
「越知」は更に「越」に遡れるとしても、「越」は「百越」であって、祖先を一色に限ることはできない。この点、私は「越知」を「ヱツ」ではなく「ヲチ」とする点に注目している。

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