湯桶(ゆとう)読み

湯桶読みと重箱読みの違いはご存知だろう。「湯」は「ゆ」で訓、「桶」は「トウ」という音で発音される。逆に、「湯」の音は「トウ」で「桶」の訓は「おけ」である。
これに対し、重箱読みは「重」が「ジュウ」で音読み、「箱」は「はこ」だが連濁で「ばこ」となる訓読みである。
これから、湯桶読みは訓-音、重箱読みは音-訓と読まれていることになる。なぜこんな複雑な読み方になったのか、正確なところは分からない。漢語と倭語・和語のせめぎ合いが根底にあるだろうが、実際には一つ一つ検証する他ないのではないか。
湯桶読みの場合、大きく二通りが考えられる。一つは、漢語が既に定着し、和語に直すと原意が失われるため、美称などを和語として加えたもの。一つは、逆に定着している和語に漢語が加えられる場合である。いずれが早く定着しているかは、やはり実証をまつよりない。
私の念頭には越前の大谷寺大長院がある。ずいぶん温めてきたが、すっきりした解釈が生まれない。大谷寺は「おおたんジ」、また大長院は「ダイチョウイン」で「おおチョウイン」と呼ばれることもあるらしい。「大谷寺」で「大」が「おお」であるのは訓として納得できる。また、「谷」が「たに」から「たん」に音便化したと考えれば訓と考えても不思議はない。ところが、「寺」は「ジ」で音である。
また、「大長院」の「大」が「おお」で訓なのは上と同じだが、「長」は「チョウ」で音読みである。
越前と加賀の限りをなす連山の一つに「大長山」という山があるが、その読み方は「おおチョウサン」で「ダイチョウサン」と呼ぶ人もいる。
ともかく、「大谷寺(おおたんジ)」にしても「大長院(おおチョウイン)」「大長山(おおチョウサン)」にしても湯桶読みで、不自然さは否定できない。
私は、「大長(ダイチョウ)」は「泰澄(タイチョウ)」ではないかと考えている。漢語音としても十分可能な解釈であり、いい加減な推測という訳でもない。この点については次回に。

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