泰澄は大長

「湯桶読み」というコラムで、「大長(ダイチョウ)院」の「大長」は「泰澄」ではないかと述べた。そのままにしておくのも腹ふくれぬから、ここで少しまとめてみよう。
延喜十三年(913年)に編纂された『延喜式』によれば、白山神社の祭神は加賀国石川郡に「白山比咩神社」が一社あるのみだ。だが私は、白山三社のうち、少なくとも奥院は泰澄の白山登拝に遡ることができると考えている。
泰澄は白山を開いた「越の大德」で、この辺りにも彼に縁のある寺などが至るところにある。中でも大谷寺(おおたんジ)の「大長(ダイチョウ)院」は、泰澄が入寂したとされる所で、ことに縁が深い。「ダイ」は恐らく平安期以降の慣習音で、万葉仮名及びハングル音で有声音が語頭にくることはないから、これらとは区別できるだろう。
また「大長(おおチョウ ダイチョウ)山」も白山禅定道にあり、これに無関係とは思えない。
仮名で言えば、「大長」及び「泰澄」は「タイチョウ」で、同音にも訓める。単なる偶然ということもあるから、漢語音に遡ってみよう。
「泰」は『説文』十一篇上二294にあり、形声文字で「大聲」とされるから、「大」(同十篇下018)とほぼ同音と考えて間違いあるまい。念のために『玉篇』という辞書を引くと「泰 託賴切」、「大 達賴切」となっており同韻である。
「澄」(『説文』十一篇上二068)は『玉篇』で「澂(澄) 直陵切」、「長」(同九篇下192)は「長 直良切」で韻は異なるものの同声である。因みに「證」(三篇上258)は「諸孕切」で、声母及び韻母共に異なる。
従って「泰」「大」は同部畳韻、「澄」「長」は雙聲字であり、いずれも関連する音と考えてよい。
「大長(タイチョウ)」はまた、いわゆる倭国最後の年号(698年-700年)名である。泰澄が倭国最後の年号を名乗っているとすれば、その意味は重い。彼の実在性を確かにするだけではなく、年号の信憑性を高めることにもなる。泰澄は、日本国成立期にあって、旧宗主国である倭国をその名に刻んでいるのではあるまいか。
また泰澄は越知氏に関連すると思われ、またその越知氏は越種に淵源する可能性が高い。とすれば、『三國志』の著者である陳寿が倭人の主たる勢力を越種と喝破したことが頭をよぎるのである。

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