倭国と日本国

大げさに言えば、列島古代史の分岐点になるテーマである。皆さんは『旧唐書』という歴史書をご存知だろうか。
この東夷傳中に「倭國」条と「日本國」条が併記されている。「倭國」は後漢以後変わらず通交してきた国として、「日本國」は「倭の別種」と記されている。
通説では、まさにこの点で、体裁が整っていないとし基本史料からはずす。だが、ある時期列島に有力な国家が二つあっても、何ら不思議ではない。列島は決して小さくないのである。
当時、東アジアで超大国であった唐帝国の正史であり外交文書である『旧唐書』に「倭國」条と「日本國」条が併記されている以上、歴史家なら、これを様々な観点から確認しなければなるまい。
私は、歴史書としての確かさや客観性からして、『旧唐書』東夷傳の記事を私の歴史観を構成する柱の一つとして採用している。
律令を整備した日本国が過去に遡っても唯一の政権であったとするのは、その正当性を確かにするための主張であって、迂闊にも真に受ける必要はない。
天孫族が「日本國」の大王であったとすれば、それはいつからか、「日本國」の前身は何かなど、解かなければならない問題が山積している。だがこれらの点は中国史料を柱としつつ、『日本書紀』を客観化した上で慎重に議論すれば、二十一世紀の歴史学として解明し得るだろう。
としても、この「日本國」を「倭國」と同一視することはできない。例えば多くの教科書で定説として記載されているように、『宋書』東夷傳などの「倭王武」を日本国の系統と思われる「雄略天皇」に当てるのは筋違いだろう。第一、「日本國」をそれとして五世紀に遡らせることが難しい状況である。
事ほど左様に『旧唐書』の記事が重要視されてこなかったのは、この記載が十分理解されていないか、或いは意図してはずされてきたと考えざるを得ない。

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