言い訳(3)

言い訳ばかりで、申し訳ない気持ちで一杯である。今度は、「一大國」が歴史学上でなぜそんなに大事であるか分からないし、些細なことではないか。また教科書で「倭の五王」が応神天皇から雄略天皇までに当てられており『宋書』に天孫族のことが記されているではないかという詰問があった。
「一大國」はいわゆる『魏志』東夷傳倭人条という基本史料に記された実在の国家であり、その位置が特定できる数少ない例として重要なのである。現在、大規模な遺跡を発掘中であり、その成果が期待されている。加えて、私は天孫族の出自が垣間見えるとも考えており、目をそらせないのである。
従って国名としても、限られた史料から当時の意味合いをできるだけ搾り取る必要があろう。漢字は形・音・義の三つの側面を持つとされる。「一大」を「天」とするのはその形からであり、「天孫」に関わると考えるのは義からである。音については、研究が始まったばかりで、手順すら確立されていない状況である。
『宋書』倭國条は、倭國の王を記しているのであって、天孫族の「王」を記録している訳ではない。これについては従来から議論があり、現在のところなぜか倭王武を雄略天皇に当てるのが「定説」になっている。
私は、これについては疑問をもっており、余り信用していない。議論にすれ違いが多く、今だ共通の認識に至っていないと考えるのが妥当ではないか。
天孫族が列島においてどこまで遡っても支配者で「万世一系」だった訳ではあるまい。律令が整備された後、やっと天皇中心の国家ができたのである。
日本国が中国史料に始めて登場するのは『旧唐書』であり、倭国と日本国が併記されている。天孫族の系譜が示されているのは『新唐書』が初見である。

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