白山奥院(5)

本丸に取り掛かろう。本居宣長翁をご存知だと思う。「大穴牟遲(オホナムヂ)」を「越南知(ヲナンチ)」「越南智」に遡るためには、どうしても彼の意見を無視するわけにはいかない。
彼の説を簡単に紹介しよう。『玉勝間』巻一の「音便の事」という段で、「ん」が万葉以後の音便であり、「古言の正しき音」ではないと主張している。彼の意見は精密で、「音便のんの下は、本語は淸音なるをも、濁らるる」とし、「たとへばねもころといふ言を、後にはねんごろといふがごとし」と例証する。
これからすると、「ヲナムチ」の「ナム」が音便化して「ナン」となり、更に清音である「チ」が濁って「ヂ」となれば、まさに「ヲナンヂ」となる。これは原型が「ヲナムチ」であって、「ヲナンチ」ではないことを示す。つまり「越南知」の表記は万葉以後で、音便化した後の表記とも解せるわけだ。
確かに音については、平泉寺白山神社の伝承音である「越南知(オナンジ)」、長滝寺白山神社の「越南智(オナンヂ)」ともに、「ナン」のあとが「ジ」「ヂ」で濁音になっており、「ナン」を「ナム」の音便と解された時期のあることは推測できる。
平泉寺の「越南知(オナンジ)」は「大汝(オナンジ)」に引きづられた音だろう。
「大汝(オナンジ)」の場合、本居説の通り、「ジ」「ヂ」が区別できなくなった奈良末から平安期以後に、音便を待って濁音化したのではないか。長滝寺の「越南智(オナンヂ)」における「ヂ」も同様だ。
しかし、「越南知」「越南智」の「南」が音便化した後の表記であれば、「知」「智」という清音の表記である点が腑に落ちない。また「越(ヲ)」が古音を保っている点からも、「南」を音便化した為の表記とは考えにくい。とすれば、「南」の漢語音が「ナム」あたりだろうから、やはり「南」は音義ともに漢語そのものを表記していることになろう。これらから、やはり「大穴牟遲(オホナムヂ)」から「越南知(ヲナムチ)」にたどり着くことができるのである。

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