履修不足

何と言ってよいか分からない。あまりに根が深くて、問題点を明らかにするだけでも大変だ。ここ郡上においても、例にもれず履修不足があったという。どこか遠くの問題ではないのである。
まずは、高校の側から考えてみよう。「ゆとり教育」という中途半端な考え方が、高校の課程を圧迫していることは確かだろう。例えば数学では中学校でやっていた二次方程式の解の公式や不等式などを取りやめ、高校に丸投げしてしまった。去年あたりから、一部で復活する動きがあるが正式なものではない。高校から更に進学する子にとっては、大学が水準を落とす訳ではないから、高校でやることが多くなる。高校側としても、生徒の希望に沿ってやりたいだろうから、負担が大きくなる。
土曜日が休みになったのに加え、センター試験が一月にあり、それまでに少なくとも数Ⅲ、数Cなどをやり終える必要がある。英語にしても教科書全体をしっかりやり終えることは至難の技で、途中から入試の対策をやっている所が多いだろう。つまり、内容が多くなり、時間が削られている。子供の側としても、進学に必要な科目に絞って勉強したいというのは分かる。となると、何かを犠牲にする必然性が生れる。
これでは、皆で高校をいじめている印象である。教育行政の観点からすれば何か言いたいこともあるだろうが、口の出しすぎではないか。現場の窮状から乖離し独走している気配がする。行政本来の理念に悖り、教育者に不正を強いる環境をつくるなどもっての外である。
また愛国主義や「美しい日本」などのイデオロギーを誇張して、現場を混乱させてはいけない。こんな詩の一節みたいなもので現場が進んでいくはずがない。行政を含め、我々は子供をじっくり一人前にする教育を応援すればよいだけだ。
子供達と親御さんに一言。受験科目以外を「無駄」と考えてはいけない。自分がどんな人間になりたいのか、それぞれの一生をじっくり考えて、小さな欲で大きな夢が消えてしまわないようにして欲しい。