方言と歴史学(2) -今気になっていること-

テーマの大きさにも拘らず、今書こうとしているものは些細な点だけかもしれないが、気になるものはしょうがない。
例えば、観音を[クァンノン kwannon]、菓子を[クァシ kwashi]等と発音する場合がある。九州の大部分、出雲・伯耆、加賀・越中、越後などの地方に残っているそうだ。
[kwa]は一般に、奈良時代以前の古い日本にはなく、漢字音の輸入によって発生した平安時代以後の音とされる。
だが、私には腑に落ちない点がある。確かに万葉仮名で[kwa]の音が見られないようだが、万葉仮名と同時代またはそれ以前に[kwa]音が無かったという点に疑問が残るのである。
中央でいわゆる漢語音が導入されてから、これらの地方で平安以後一般化し、これが長年残ったなど一体ありえるのだろうか。テレビなどの媒体が隅々まで普及し、徐々に共通語が成熟しつつある現在でも、複雑な発音が定着して一般化するのは稀だ。
しかも、九州の大部分、出雲・伯耆、加賀・越中、越後などは都から遠く離れた地であって、中央政府の意向が隅々まで届いているとは思えない。
これには、人間の頭が真っ白であり、中央の文化が徐々に浸透して、中央が音変化した後もこれらの地方で昔の音が残ったという、文化周圏論が根底にあるように思えてならない。
例えば[kwa]の場合、既に万葉以前からこれらの地方で使われておって、万葉仮名が成立した後も継続して、「方言」として生き残ったとも考えられる。第一、明治以後に一地方の言語を標準語として制定し、この他を方言と見なしてきたのは失礼な話ではないか。