『説文解字』入門(4)-鵜(う)の話(1)-

私が、鵜飼で有名な長良川に沿った郡上市に住んでいるから適任という訳ではない。
この辺りに住んでいる人は、鵜飼について詳しい人が多い。
『古事記』の国譲りの段に「櫛八玉神化鵜」、神武の段に「此者阿陀之鵜養之祖」という注があるのを不審に思ったので、あれこれ考えていると眠れなくなってしまった。これでは良くないと思い、頭の中を整理して書くことにした。
『説文解字』には「鵜」の字形は題字としては無く、四篇上342「鴺」の異体字として収録されている。『玉篇』及び『廣韻』でも、「鵜」は「鴺胡」のことで、どうもペリカンのことらしい。『爾雅』の表記も紹介したいが、フォントの関係でお見せできないのが残念だ。
『古事記』がなぜ「鵜」という文字を使ったのか不明であるが、単に「鵜」を「う」に誤ったと考えれば、のめりこむほど問題ではない。だが、後の写本でも「鵜」であるし、何かただ事でないような気がしてきたのである。
ペリカンは日本列島に殆ど現れない鳥であって、「鵜(う)」のように魚を捕らえるよう訓練する話は聞かない。これから、「鵜」のみならず「鵜飼」について知見のない人が『古事記』を編纂したと考える他ないように思う。鵜飼は当時、列島各地で行われていただろうから、単なる誤りというよりは異文化の匂いを感じるのである。あるいは、朝鮮半島で鵜飼が行われないことに関連するのかもしれない。
『説文』で「う」は「鸕鶿(ろじ)」という難しい文字である。段玉裁氏の注で「鸕」は黒色の鳥、「鶿」は卵生ではなく口から吐いて生む鳥の義。但し、「鶿」も黒い色の鳥で、「鸕鶿」を同義語の連文に解する説もある。
『隋書』俀國条では「鸕鶿」、雄略紀三年夏四月条では「誘率武彦於廬城河 僞使鸕鶿沒水捕魚」とあり、それぞれ正しい用語で書かれている。