大矢田神社(2)

思いついたときに書くだけだから、一貫性というものに問題があるかもしれない。大矢田神社は「オヤダ」と読む。高御産神と天照大神が天若日子に与えた「天之波波矢(ははや)」が大きい矢であり、これが神社の名の由来であると伝えている。現状、私には字義についてこれ以上に解くアイデアはない。
ただ「大矢田」の「大」が「オ」であって、「オオ」でも「オホ」でもないのが気になる。これは「越南知(オナンジ)」「越南智(オナンヂ)」が「大汝」「大貴己(ヲホナムチ)」となるのに似ている。これからすると、伝承された「オヤダ」が原形に近いのではないかとも思える。となれば、「オ」から「ヲ」が遡れるかもしれない。
大矢田神社の祭神として天若日子が祀られていることは前に書いた。国譲りに失敗しただけでなく、天に弓引いた者を祭ることに何かしら違和感があるものの、逆にそれだけ真実味があるとも言える。この辺りには、若日子の妻である下照比賣の誕生したと言われる誕生山があり、喪山もある。『古事記』の国譲り前段にあたるこの話が妙に現実味を持っている。
大国主の国譲りを正式なものとすれば、この神社はこれを採用せず、須佐之男のオロチ退治で国譲りをさせていることになる。既に「八俣の大蛇」シリーズで示唆しているように、記紀では国譲りを二段階にしようとしていると思われる。一つは、大国主からのそれであり、もう一つは大蛇からだ。後者は後に付け加えられたものだろう。
大国主を「ヲナムチ」として「越知」を復元し、「ヲロチ」の「ロ」を休め辞とみてやはり「ヲチ」とする仮説から、歴史の間を覗いてみようというのである。
泰澄の伝承を採用すれば、越知との関連が浮かんでくる。つまり倭国から日本国へ政権が移った時に、日本国が自らの正当性を主張するため、大急ぎで伝承を基にして「大国主」と「八俣の大蛇」を新たに創作したのではないかというわけだ。

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